P2Pに関するessa氏発言集

誰かがまとめてくれるほど偉くもないので、自分でまとめてみました。

ネットのスピードが極限まで速くなったら

4年前に、WinnyのモデルのFreeNetの前身のグヌーテラというソフトを見て書いたものです。「ネットのスピードが極限まで速くなったらネットは一切管理できなくなる」という主旨です。


これが極限に達すると、ネット全体がひとつのクラスタとして機能するようになる。何億台、何兆台というマシンがひとつのマシンのようにふるまうのだ。 webだったら、ファイルにURLをつけて、このクラスタにほうりこむ。すると、URLとファイルはクラスタの中のどこかに記録される。次にURLで読みだすと、その「どこか」がファイルを返してくる。それが実際にどのマシンにあるかなんて、誰も気にしなくなる。

この描写は、検索がURL的な識別子で行なわれる所が違いますが、ほぼWinnyの出現を予言していると言ってもいいような気がします。ただ、実はこれはあるSF的なストーリーの中のアイディアとして考察したもので、自分が生きてるうちにこういうものを目にするとは思っていませんでした。まさか、数年で実現するとは思わなかった。

ハリウッド型が唯一のモデルではない

東浩紀さんの発言から、文化と文化産業の関係について考察したもの。珍しく論旨が一貫していて混乱がない。リンク先とともにオススメです。

デジタル証券システムによるコンテンツ流通

47氏が提案された「デジタル証券」について、その社会的、経済的な意義を論じています。

残念ながら、元ネタが47氏家宅捜索の後、リンク切れ。

(追記)こちらにミラーされていました。yucoさん、ありがとうございました。

八頭身モナーの著作人格権


昔は、琵琶法師が全国を営業して回っているうちに平家物語ができた。今は、パケットがP2Pの中を駆け回ると創作物ができる。これが常態であって、個人が物を作るというのがでっちあげられた空想的な概念にすぎない。

創作物が個人に所属するという概念は本質的な真理なのか?という問題提起。

妖精現実 フェアリアルさんの、2004年5月11日の考察が、これについて詳しく論じています。

P2P式の井戸塀

これは、Winnyの問題とは直接関係ないけど、P2Pという言葉が含まれているので。


あえて損を選択する差額の中にに志(こころざし)がある。

しいて言えば、47氏がしていることは志(こころざし)と呼ぶべきだというつながり。

井戸塀政治家がいないから、こういうことが起きるんだというつながり。

陰謀論の麻薬的な魅力

さらにはずれますが、P2Pには文化(コンテンツの流通)という側面と同時に、言論の自由という重要な側面もあります。

言論は、第一はマスコミのような準公的な組織で、記名で行なわれるべきです。いかにネットが発達しようが、それが主体であるという本質は変わらない。

しかし、それらの信頼感を保つ為には、匿名による批判にさらされていなければいけないと思います。匿名による批判とは一切の権威、権力なしで「言葉の正しさ」だけを武器にした批判ということです。

政府やマスコミがそれに答える答えないは自由です。ただし、「答えない」「無視する」ということが、ひとつの意思表示としてみなされる。

その過程を、多くの人の目にさらしても支持を得られるような、そういう姿勢を政府やマスコミは持っていなくてはいけません。

「言葉の正しさ」を武器にした批判に対して、言葉の力以外の別の権力で対抗しようとする者は、信頼を持たれない。

私は、ジャーナリズムの意義を軽んじているのではなくて、逆にジャーナリズムが非常に重要なものだと思うので、多くの人に信頼されていてほしい、信頼されていなければいけないと思うのです。

企業の経営に監査が必要なのは、経営者が非合法なことをすると疑っているからではなくて、企業の経営に信頼を与えることが必要だからです。

同様に、政府をジャーナリズムがチェックして、その両者をP2Pによる匿名の言論がチェックする。それがあることによって、政府、社会、言論というものに信頼が与えられるのです。

そういう信頼が失なわれることが、どれだけ恐しいことか考えてほしい。言葉をおさえこむことで、その信頼をとり戻せるのか、考えてほしいと思います。