玉突き自己〜私がひきこもりにこだわる理由

migelさん


これはひきこもり同士の反目というよりも、同じ人の中の「自分」と「世間」の戦いであるように思える。

という素晴しい洞察(これはぜひ全部読んでください)と、Freezing Pointのコメント欄での白熱した議論の中のjounoさんの


ぼくとしては、弱者が弱者に負担をしわ寄せする構造を懸念するわけです。

というコメントを合体すると、「ひきこもり問題は、自分の心の中にある、弱者が弱者に負担をしわ寄せする構造」という、私がひきこもりにこだわる理由ができあがります。

物理学において一般的な空間の性質について考えるのに、「特異点」をヒントにするのと同じことです。

官僚が強者であるとも、ひきこもりが弱者であるとも思えませんが、強者と弱者の連続の中で、この二つの言葉は特異点だと思います。私はこの二つについて繰り返しコメントしていますが、それは特異点に興味があるのではなくて、自分の心の構造に興味があるのです。

ひきこもり側の特異点の反対側には、上に書いた「強者を褒めるための、きちんとした褒める言葉がない」という問題があります。この二つは玉突き事故のように関連していると思います。私の中では、強者としての自分と弱者としての自分が「玉突き自己」を起こして離反しているのです。