教育現場に必要なものは「沢村賞」

プロ野球沢村賞という賞があります。簡単に言えば「その年の一番すごいピッチャーに与えられる賞」ですが、名前からして個人名が賞の名前になっていることからわかるように、独特の選考方法で決まる賞です。

まず、首位打者最多勝のように記録の数字から自動的に決まる賞ではありません。完投数(15以上)や奪三振数(150以上)等の一応の選考基準がありますが、これを満たせば必ず受賞できるものではなくて、選考委員の主観的な判断で決まります。

主観的な判断要素を入れている賞としてはMVPと新人王がありますが、沢村賞がさらに独特なのは「該当者無し」というオプションが用意されていることです。実際に、2000年を含め過去4度「該当者無し」になっています。

もうひとつの特色は、「先発完投型」の「剛速球」投手に与えるというポリシーを明確にしていることです。例えば、近鉄時代の野茂と巨人の斎藤雅樹が候補とされた1990年には、奪三振の圧倒的に多かった野茂に与えられています。また、リリーフエースだった佐々木は受賞していません。賞の由来である沢村栄治投手のイメージを大事にしているわけですが、素晴しい成績を収めても受賞できない投手もいるわけで、見方によっては不公平とも言える賞なのです。

しかし、こういう賞だからこそ貰って嬉しい賞なのではないかと想像します。消化試合の数字合わせでは取れないものだし、他との比較でなく絶対的な成績として評価されたということです。「たまたま他にいいピッチャーがいなかったら取れた」等という陰口をたたかれることもありません。投手にとっては本物の勲章です。

その分だけ、選考者にはプレッシャーがかかります。数字を言い訳にすることが許されず、ヘタな選手を選べば自分の野球を見る眼が問われてしまいます。

人を本当に褒めるには、褒める人はリスクを取る必要があるのです。

私は日本の教育に欠けているのは、これではないかと思います。教育者や親がリスクを取って褒めないから、子供が腐ってまうのです。今年も日本中でたくさん運動会が行なわれて何十万枚という賞状が発行されているでしょうが、この沢村賞のような本当にもらって嬉しい賞状が何枚あるでしょうか。不公平で主観的で該当者無しの可能性がある、数字だけでは自動的に決まらない賞があるでしょうか。

勉強でがんばっても得られるものは「クラスで一番」「学年で一番」等の数字で決まるタイトルだけです。「一番」になる人は、幸せを他の人のおすそわけする義務が生じます。みんな「一番」にはそれを期待します。でも「クラスで一番」ではクラス全員に分けられるほど幸せにはなれません。「学年で一番」では顔も知らない奴から嫉妬されたりしますが、それに見合う程のいい思いはできません。

この2〜3日、いろいろな個人ニュースサイトからリンクしてもらって毎日記録更新してますが、私だってページビューという単なる数字より、どこでもドアぁぁ〜みたいにオンリーワンな褒め方をしてもらった方が嬉しいです。(これ実は意味がよくわからなかったけど、この文章のように入口と出口が違うことを褒めてもらってると解釈しました)