フリーソフトがカルマフリーとは限らないよ

八田さんの日記のツッコミに対して、たださんが「ツッコミには愛を込めて、ね。」と言っています。八田さんを批判するのはかまわないけど言いかたがあるだろ、と私も思いました。私はそのまま素通りしてしまったのですが、自分が開発したソフトをこういう風に使われるというのは、作者にしかわからない悲しさがあるような気がします。

せっかく素晴しいソフトを開発されているのに、そういうのを見たくない気持ちはよくわかります。それで逆に、tDiaryをどう使ったらたださんが喜ぶだろうか考えてみました。

まず、たださんを褒めまくるのはどうでしょう。tDiaryユーザがみんなして、「たださんは素晴しい」「たださんはこんなソフトを開発して天才だ」と日記に書きまくる、・・・問題外ですね。

じゃあ、とにかくtDiaryを広める。ユーザを増やす。これは悪くはないけど、単に宣伝して押しつけるのでなく、tDiaryの特徴を伝えてユーザがそれを活用できるような宣伝が望ましいでしょう。ということは、tDiaryとは何かをもう一度考えなくては。

tDiaryの特徴は拡張性の高さですね。テーマでいろいろな見た目にできるし、プラグインによってさまざまな機能が追加されます。だから、プログラムが書ける人や絵心のある人が開発者として参加できる。このコミュニティの輪を広げるというのはありますが、それを強調しすぎて、普通の単なるユーザが入りにくくなってはよくない。

もうひとつの特色は、リンク元とかツッコミとかコミュニケーション指向。この点では私なんかは、ツッコミからネタを作ったり、リンク元ネタにしたり、結構そういう機能を活用していると自分では思います。模範的なtDiaryユーザかもしれない。しかし、これを強要するような紹介もたださんの本意とは違うような気がする。

こうやって考えてみると、結局「こういうふうにtDiaryを使ってほしい」って言うのは、特にそれが一種の押しつけのような制約に感じられることは、おそらくたださんは望んでないんですね。「模範的なユーザ」という発想そのものが何かズレている。ポイントは多様性ではないかと思います。tDiaryを使って、さまざまな日記が広がったら、内容も機能も見た目も使い方も、それぞれの多様性が広がっていたら、たださんは一番喜ぶのではないかと思います。

だから、tDiaryのユーザ(及び潜在的ユーザ)諸君、自分の潜在的な個性をtDiaryによって開花させて、さまざまなスタンスでtDiaryを使って、自分らしい日記をたくさん書いて、たださんを喜ばせてあげましょう。

一般論としてソフトの作者に対する第一のおかえしは、そのソフトを使い倒すことだと思います。軽く使ってほしいソフトは軽く、ハマリこんで欲しいソフトはハマって使う。tDiaryのようにそれぞれの使い方がしやすくできているなら、「自分らしい」使い方を考える。まずそれがあって、それで足りない人は開発に参加するとかメールを出すとかお歳暮を贈るとか次の段階を考えればいいんです。

我々はさまざまな商品とサービスを消費しますが、ソフトに限らず何に対しても、「作者を喜ばす」ということを考えてみるといいかもしれません。こういうのは道徳とかそういうのじゃなくて、結構自分に返ってくる、割に合うことだと思います。実際、私はこの文章を書いてtDiaryを少しだけ深く理解した気がします。常にそういうことをを考えることができる能力、「感謝できる能力」を私は「スキル」と呼びたいです。