「極小値=特異点=出口なし」?

id:ueyamakzkさんの所に言及する時は、いつも緊張します。問題の性質をよく見極めて自分に理解できる範囲をよく考えて発言しないと、助けるつもりが足を引っぱることになりかねないという危惧をかかえながら、発言しています。

そういう意味で「貴重な励まし」と評価していただいて、少し安心しています。また、こういう応答もあったし、とにかくほんの少しでも問題の周知にはつなげられたかなと。


比較級である以上、「極小値は必然的に存在する」のはわかりますが、それは必ずしも「ひきこもり」という状態像を取らなくてもいいですよね。 日本以外では、「極小値」はおそらくホームレスや自殺で、日本でもこれから「ひきこもり」は「ホームレスや自殺」にシフトしていくのでは、と一部の人は予想しています。

私もそう思います。「ひきこもり」には「ひきこもり」独自の事情もいろいろあると思いますが、「何らかの皺寄せを一手に引き受ける人」という観点から、「ホームレスや自殺」等も含めた「絶対弱者」という問題の具体例として見るような発想も必要だと、私は考えています。

そのような一般論としての考察には、あまり具体的な事例を知らない外部の人間も、多少は参加できる余地があるかもしれません。というか、そういう観点から、我々一人一人に深く関係する問題として、とらえていくべきだと思います。

上司にどなられて腹いせに部下に意地悪をするとか、客先から無理を言われてそれを別の部署にスルーする、というようなことは、大かれ少なかれ誰でもやっています。それと同じことを、「能力にもとづく差別」というような微妙なかたちでやっているかもしれない。それは、自分に見える範囲のことでは破壊的なものではなくて、後ろを向いて「クソっ、ムカツク」とひとこと言えば終わってしまうようなことです。でも、そういうちょっとしたことが集積されていって誰か一人のもとに集まると、その人にとって破壊的なことになるかもしれない。

そして、これを「流れ」として見ると、「流れ」である以上終着点が必ずあるわけで、それを一切気にとめないで日常生活を送ることは正しいことなのだろうか?と気になってくるのです。

デコボコがある地形に雨が降れば、必ず河ができて河が合流して湖になります。地形をどういじっても、最終的に水がたまる所ができるのは必然です。水の重みを受けて穴がヘコめば、より一層多くの水が流れこんでいきます。雨量が少なくても傾斜がなだらかでも、それがどんどんたまっていけば、最終的には水の重みで地面に穴があく。

そういう空間的なイメージでとらえて、「特異点」という言葉を使いました。

これをブラックホールとつなげたのは、単なる言葉の連想でもありますが、やはり重力の傾斜が一点に集まる所で、法則が崩壊するというイメージ的なつながりも感じています。また、特異点が我々の見える所にあると、つじつまが合わなくなるという物理学の問題もあります。数学的な方程式の上では「見える特異点」が存在するのですが、それを物理にマッピングするとわけがわからなくなるので、「見なかったことにしよう」と言っている人がいる(というか通説になってるみたいです)。「宇宙検閲」と言って、特異点は事象の地平線(ブラックホールの中:我々には見えない「むこう側」)の中にあることを、宇宙が要請しているという概念です。

「悪意」の傾斜も「重力」の傾斜も、出口と入口がある所では論理的に考えることができるが、そういう思考は、全てを含んで成立することはない、必ず出口のない「特異点」があって、そこで法則が破綻する。そして、我々はなんとかそれを回避する方法を模索している(けど、現実には「特異点」が「無かったこと」にして解決しようとしてしまう)。思考のパターンの問題としてそのように図式化してみると、意外に深いつながりがあるのかもしれません。

「シビアなひきこもりに安楽死」は論理的には正しい帰結ですが、それを認めると、我々の社会がよって立っている原則のようなものが破綻します。だから、「はげまして社会復帰させるべきだ」と言う人がいる、つまり、その人の置かれた状況の特殊性を否定し、その人は特異点ではないと強弁することで、破綻を回避する方向を考えてしまうわけです。この思考方法が、「特異点を見えない所に追いやろうとする傾向」という意味で、「宇宙検閲」の理論と非常によく似ていると思いました。