弱者の特権を権力として濫用する者

私はイラク日本人拘束事件で人質となった三人の行動には批判的ですが、「自己責任」という言葉で彼らを非難することには、漠然としてるけど強い違和感がありました。それが、kom’s logの次の言葉でかなりスッキリわかった気がします。


この子供は確かにムラの迷惑者である。このクソガキが、である。しかしこれはムラの話だ。近代国家は、ムラではない。迷惑をかけてはいけない、というこのムラ感覚が、齢10年ほどの言葉とないまぜになって、目下大声で語られている。


ムラ(家族)→国家という浸潤に加えて、国家→家族という浸潤が亢進しているのである。

確かに、国家の論理と家族の感情がへんなふうにこんがらがっているのがイヤな感じがします。そこからリンクされているKANWAKYUDAI::Blog: 「自己責任」という記事には、この言葉のアヤシゲな成立ちと、そのことから必然的に含意するおかしな論理が説明されています。

しかし、このトリガーを引いたのは何かと言うと、人質家族の過度に政治的な主張でしょう。

自分の国に対する政策の注文として「自衛隊を撤退しろ」と言うのと、自分の愛する家族の安全を守る為に「自衛隊を撤退してください」と言うのは、同じ「自衛隊を撤退」でも、全く違います。もちろん、どちらを主張することも当然の権利ですが、これをリンクするのは良くない。

今、大バッシングが起きているのは、家族の言ったことが前者の政治的な主張としての「自衛隊を撤退しろ」だったから、少なくとも、テレビでそれを見ていた人には(私もですが)そうとしか受け取れなかったからでしょう。

一般化して言うと、彼らは「弱者の特権を権力として濫用した」ということです。家族を人質に取られた人は弱い立場です。まともな神経の持ち主なら同情するし、できることがあれば助けてあげたいと思う。そういう人を叩く人間に対しては「何てひどい奴だ」と攻撃する。それは人間として当然の感情です。

ただ、その感情を悪用するとそれは権力として使うことができる。弱者が権力だと言っているのではなくて、弱者が弱者であることそのものを権力として使うことができるです。

そんなタチの悪い弱者はめったにいないのですが、弱者の回りにはその権力を利用する者がむらがってくる。そういうタチの悪い奴がまとわりついてくるのはよくある話で、むしろ普遍的にあちこちにあります。

当然ですが、これは二重の悪事です。

まず、第三者に対する不当な権力の行使です。弱者を隠れみのにすることで、多くの第三者に不当な圧力を加えることになります。

さらに、そのことの反動が弱者に向かい、間接的に弱者に攻撃を受けさせることで、弱者にさらに追いうちをかけることになる。弱者に対する裏切りでもあります。

今回の事件にも、この構造が典型的にあるのではないかと思います。

最初に人質の家族と支援者が、人質の弱者としての権力を最大限に利用する形で「自衛隊を撤退しろ」という政治的な主張をした(と受けとめられた)。そして、その反動が解放された三人に対する(過度の)(非論理的な)バッシングとなって向かっているわけです。私もそうですが、「弱者の権力」に過敏になっている人が日本には多い(その多くが2ちゃんねら?)。これで挑発されるとすぐ頭に血が昇ってしまうんです。

それはもちろん、こういう権力のシステムを長年にわたって悪用してきた連中がいるからで、そういう連中につけこまれてしまうのが、「家族(ムラ)」と「国家」の関係がうまく整理されてない日本の弱さなのでしょう。

私は、事実関係が明らかになる前に、無意識にこのような構造を想定して人質本人と家族や支援者を批判しました。それは、結果として正解であったとしても行き過ぎの部分があったと思います。家族の言動は「弱者としての立場の政治的利用」と受けとめるのが自然ですが、我々の側にそういう構造を見やすいフィルターがあることも考えなくてはいけない。彼らは、一人の家族として支援を訴えていたのだけど、強いストレス下で日頃のスタイルが噴出してしまって誤解されたのかもしれません。

現在は、いくつかの仮説を想定して検討している所で、実際の所どうなのかはよくわかりません。事前に「弱者としての立場の政治的利用」を利用した筋書きがあったのかもしれないし、逆に「弱者としての立場の政治的利用に対する反感」を利用した誰かに釣られているのかもしれません。偶発的な事態の推移の中で、誰かがそれをうまく利用したりしそこねたりしたのかもしれません。ただ、たくさんある仮説のほとんどには(トンデモ色の濃い陰謀論を含めて)、このような権力の不当な濫用という側面が含まれています。

タブーを巡る強者と弱者に書いたように、早とちりをすることは、一番悪い奴等の利益になりますので、慎重に敵を見定める必要があると思います。