合理的なトンデモがあったらなあ

単一民族神話の起源はいろいろな読み方ができる本だ。もちろんもっとまともに読んでもいい本だが、俺はまず「明治のトンデモ史」として読んだ。例えば「日本人は黄色人種でなく古代に都落ちした白人のなれのはて」という説が出てくる。今でもそういうのがいるが、明治時代にはこれがちゃんとした雑誌に出たそうだ。一時は森鴎外まで注目したとか。

当時はDNAの系統分析なんてないし、人類学も歴史学社会学もありとあらゆる学問が低レベルだ。多少の無茶を言ってもそれなりの議論にはなる。トンデモな人には住みやすい時代だ。トンデモの人は何があっても結局トンデモを言うものだが、明治時代にはトンデモを言っていても一応学者になれた。

「日本人は白人なんだ」説のようにトンデモの人は時代精神を反映しているのであって、実はそれで救われている人がたくさんいたような気がする。そう思いたい人がたくさんいて、そういう人はその説でガス抜きをしていたのだろう。

当時はそれをさせておいても、合理的な精神をあまり損なうことはない。それを合理的に否定できるだけの証拠、学説が揃ってないからだ。

今、同じようにトンデモに好きにさせると、合理的な思考を否定することになって、これはこれで害があるので、安全にガス抜きをすることができない。明治と比べると、なかなかややこしい時代に我々は生きている。現代にも合理的なトンデモがあったらなあと俺は思う。