日本のアニメがまずい?

「デジタル技術を使った商用アニメーション制作を目指す新人を発掘するという事業」の審査にあたった、浜野保樹氏ら日本のアニメのプロが、フランスの学生からのかなり高レベルの作品(それもたくさん)に驚いて、日本のたちおくれを実感しているらしい。


「まずい」という言葉には別の意味も含まれている。それは日本のアニメーション、海外でいういわゆる「アニメ」風の仕上がりになっている作品がかなりあり、日本人の目に心地よいからだ。公募書類にも「アニメ」の作風を意識して作ったと書かれていた。3Dで2Dの作風を出して、見ていて違和感がない。「まずい」どころではない。

だが、このギャップの真の対立軸は「フランス VS 日本」ではなく「企業(チーム) VS 個人」なのだと思う。

ちょっと気がきいた学生なら、ひとりでジブリに迫る作品を作ってしまうのだ。それも、記事中にもあるが、天才的な芸術性を持った作品(はまぐれ当たりみたいなもので大局には関係なし)でなく、エンターテインメント作品としての技術や完成度がプロ並みなので、そこに驚いている。

つまり、「まずい!」という直感的な叫びが示しているのは、ネットやコンピュータがもたらす生産性の偏在とそこから起こるデフレである。そのフランスジンに負けないくらいの奴は日本にもいるだろうが、そういう奴がいくらいても日本のアニメ「産業」はどうしようもない。アニメだけでなく、あらゆる「産業」がこういう問題に直面しているのだ。