健康という病 米山 公啓 (著) 集英社新書

近所にまずい定食屋なんかあったりすると、思わず「あそこはひどい、あそこだけは行くな」などと噂にしてしまうが、どんなひどい定食屋だってまずいだけで腹がふくれるものは出す。この本によると、スポーツ、ダイエット、薬、健康診断等にかかわる会社の大半は、このレベルより下にあるようだ。

例えば、プラセボ(偽薬)と比較する試験をしてない薬が今でもたくさん使われているそうだ。つまり、科学的に見て健康のためになるという証拠が無いものを、平気で売りつけて金を取っているということだ。というより、そういう役に立たないものを売ることに依存していて、悪いことと知りつつ手が切れない状態に陥っている。普通、そういうのは中毒と言うのだが、健康産業がそうなってはいかんね。

その不思議なからくりを実証的に書いた各論も興味深いが、「そもそも系」の序文がまた読ませる。


スーザン・ソンタグによれば「現代人が何かの行為の動機として理解できるのは金銭、快楽、健康の三つである」という。
(中略)
その健康という欲望へ、産業もメディアもなだれこんでくる。
(中略)
恐ろしいほどの医療情報の交錯のなかで、ますます患者は、冷静な目で医療の情報を判断できなくなってきている。
(中略)
人間は健康でなければいけないという風潮が、いつのまにかそういった医療情報の中で確固たるものになってしまった。
価値観の多様化するなか、当然健康の定義も変化していくべきであるのに。
(中略)
誰もが健康が健康でなくてはいけないということで、健康食品を食べ、健康補助薬を飲み、ちょっとでも変わったことがあればすぐに医者へ行く。
果たしてこれは健全なことなのであろうか。

つまり、「そもそも健康って何?」という問いかけを避けて、そのくせ健康に殺到する我々が、その不健全な一連の業界をささえているというだ。鋭い指摘であるが、この序文が実に名文である。先に本文を読んで思いきり腹を立てて(実際、腹立つんだこれが)、最後にこの名文を読んでスッキリするのがおすすめコースである。