YATSUさんへ

「悪意」だなんてとんでもない、貴重なご批判をいただいてありがたく思っています。たぶんすでに見抜かれていると思いますが、私は実は近代哲学や現代思想についてはほとんど何も知りません。そもそも私にはきちっと系統的に勉強した分野は全くないし、学問的な訓練も一切受けていません。知らない者の強みで無茶苦茶を書いているのだと思います。そういう私のような者が書いたことに、Yatsuさんから批判してもらえるというのは、まさに富豪的権威づけの一例ではないかと考えています。

ここに書いてることがただのトンデモなナンセンスならそのまま埋もれていくし、そこに何かがあれば、こうしてみなさんが本質的なことを掘り出してくれるだろうと。このような特性を持ったBLOGというメディアだから、私は安心して好き勝手なことを書いています。

さて、本題ですが「主語がサラリーマンでは?」という私の指摘について補足させていただきます。私はYatsuさんの


さて21世紀になって、ふと見渡すと、今度はP2PやeXtreme Programmingのような、ポストモダニズムと捉えられるような思想が出てきました。しかし、eXtreme Programmingによって設計中心主義が批判されるようになったのは、現代思想でロゴス中心主義が批判された時代から考えると、あまりにも遅すぎたような気がします。

という指摘を私はとても鋭いものだと思いました。そしてこれを

という三点に分けて理解しました。Yatsuさんの力点は最後のC.にあったのだと思いますが、私はその前提となるA.とB.の方に目を奪われてしまい、「なるほどこのように現代思想や哲学との関連で技術を理解すれば、A.→B.の流れを深く理解できるわけだ」と納得してしまいました。そして、さらにこれを勝手読みで一般化して「サラリーマンが哲学や思想のバックグラウンドを持っていれば、根本からものを考える時に有利だ」と話を広げました。

これは、最近知ったthink or dieというサイトを見て感じていたことでもあります。思想や哲学を知るということは、物理の方程式のようにそれを直接的に現実の事象にあてはめて読み解くというよりは、「じっくり深くものを考える」という訓練として有効なのではないかと私は思っています。そのような訓練がないと、普通のビジネスの中で起こる身近なささいな判断をすることも難しい時代になっているのではないか、という気がしています。

ということで、私はC.に反対しているわけではありません。むしろ、できればポストモダニズム以後を見すえたYatsuさんのP2P/XP批判を読んでみたいと考えています。ただ、そこに至るまでに、自分の中でA.B.の所を再確認する必要があった、という感じです。

それともう一点、「コンピュータ技術者は自分の技術から社会に発言せよ」という私の主張についてですが、Yatsuさんに批判をしていただいて、足りないことに気がつきました。

私の意図としては「コンピュータ技術者は自分の技術の失敗あるいは、技術と社会との齟齬の経験から学習したことをもとに、社会に発言せよ」という方が正確だったと思います。無意識に私はコンピュータ技術の歴史というのは、失敗の歴史ととらえていたような気がします。よい技術者(特にSEというビジネスの現場にコンピュータシステムを適用する技術者)は、その失敗の歴史を体感的に理解していると思います。その理解の中に、社会に還元すべき知恵のモトがたくさんあるというのが、私の主張です。

ですから、この点についてのズレは単なる私の説明不足であって、Yatsuさんと私の見方はそれほど違いがないような気がします。