桜田門外の変な奴

英語で質問のメールをもらうと緊張する。英語で書いてあると、反射的に相手が凄いプログラマーに見えてしまうからだ。だが、落ち着いて読んでみれば、たいていたいしたことは書いてない。外人でもタコもいるというか、当然かもしれないがむしろ初心者の方が多い。まさにFAQを聞いてくる。あたりまえのことを答えれば喜んでお礼を言ってくれる。聞き逃げで返事がない奴もたまにはいる。こういうことの比率は日本語のメールと違いはない。英語を喋っていても、同じ人間だということを体感できる貴重な体験だ。

歴史小説を読む時のネックはこの問題だ。昔の言葉を使うだけで、すごく偉い人に見えてしまう。俺は学歴差別はしないが、こういう時だけは学歴を使って考える。「こいつの学歴はどれくらいだろうか」と当時のインテリの平均的教育水準と彼のそれを比較する。具体的に誰をどのようにマッピングしたかを書くと、いろいろさしさわりがあるので省略するが、これはその人物像に迫るのにかなり有効な方法ではないかと思う。

これをやると例えば、勤皇の志士が窪塚に見えてくる。「つーか、井伊のおっさん。その道行き止まりだよ。どんな理由も知ったこっちゃないんで、俺はいつでもソンノージョーイ」とか言って行動を起こしてしまう。馬鹿である。誰がどう見てもジョーイは非現実的である。だが、その非現実的な暴走が歴史を進めたのである。高学歴の幕府の人にはわかっていても何もできなかった。だから俺は、窪塚は馬鹿で非現実的で変な奴だと思うが彼を支持する。