脳髄解体への果てしない道
「僕は人間に生れ、いろいろの生き方をしたが、皆いろいろの生き方をし、皆てんでんにこの世を生きたものだ。自分がこの世に生きたことは、人によって実にいろいろだが、人間には実にいい人、面白い人、面白くない人がいる。人間にはいろいろの人がいる。その内には実にいい人がいる。立派に生きた人、立派に生きられない人もいた。しかし人間は立派に生きた人もいるが、中々生きられない人もいた。人間は皆、立派に生きられるだけ生きたいものと思う。この世には立派に生きた人、立派に生きられなかった人がいる。皆立派に生きてもらいたい。皆立派に生きて、この世に立派に生きられる人は、立派に生きられるだけ生きてもらいたく思う。皆、人間らしく立派に生きてもらいたい」
「武者小路実篤、御年九十歳のときの文章」だそうだ。
これを読んだ瞬間、私は、自分がこういう文章が書きたいとずっと思っていたことに気がついた。
これまでも、何度もこういう文章を書こうとして失敗している。以下の失敗作を読めば、私がかなり本気で「脳髄解体」を志向していることと、何度もトライしては無惨にも失敗していることが、何となくわかるのではないだろうか。
「なぜ人を殺してはいけないか」には世の中では善悪の問題として答えることになっていますが、私は損得の問題だと思うのですが、世の中では善悪の問題として答えることになってるのですが、善悪の問題として説得しても説得に失敗したり失敗しかかっていたりして、損得の問題として説得しても説得に失敗したり失敗しかかっていたりして、どうせ説得に失敗したり失敗しかかっていたりするならば、説得に失敗したり失敗しかかった時に、善悪の問題として論じていると、説得に失敗したり失敗しかかった理由がわかりませんが、損得の問題として論じていると、説得に失敗したり失敗しかかった理由がわかりかけてくる、日常生活から失なうものが少ないので説得に失敗したので、日常生活から失なうものをすでに失なっていることがすぐわかります。
近ごろのレコード会社は音楽のように見えて音楽でないものを売るのが商売だから、CDのように見えてCDで無いものを媒体として選択するのもある意味筋が通っているんじゃないかと思っていた。しかしそれは認識が甘かったようで、俺が椎名林檎の新譜のCDを買いに行ったら、椎名林檎のCDのように見えてCD で無いものしかおいてなかった。俺は椎名林檎のCDのように見えてCDで無いものでなくて椎名林檎のCDが欲しいと言ったが、そういうものは売ってないと言われた。そこで、じゃあ自分で椎名林檎のCDのように見えてCDで無いものから本物の椎名林檎のCDを作ると言ったら、なんとそんなことをするとアーティストのために何かしてるように見えてそうでない団体に目をつけられて、タイーホされてしまうという話だ。
人を騙したり傷つけたり頃したり脅したりする人は、自分をほメる言葉がたくさん欲しいようです。そういう人は、あの国にもいるしこの国にもいます。
あの国では自分をほメる言葉をたくさん人に作らせる人がいるし、この国では自分をほメる言葉をたくさん自分で作る人がいます。どちらの国でも、そういう人はそうでない言葉を消すことが好きです。言葉を消さないとこワい目にあうこともあります。
でも、自分をほメる言葉をわざワざ作るひつようはありません。人を騙したり傷つけたり頃したり脅したりしてから今度は一生懸命言葉を消したりしないで、最初から自分をほメる言葉にアタイする自分になればいいのです。
ネットに対してそういう革新が可能ならばぜひやって下さい微力ながら応援します多少ならば知識経験もあります革新せずにネットがそうであれと命じているのは「空が俺の上にあることが気に食わない」と言っているようなもので下にあったらそれは空ではなくて空が下にあったとしてもあなたの上には何か別のものがあって結局それが気にくわないのではないかネットが仕切られてないのが気に食わないと言うけど仕切られていたらそれはネットではないし仕切ることができたらつながる為の仕組みが別に必要になってそれをネットと呼ぶなと言うなら呼ばなくてもいいけどその何かが気に食わないと結局あなたは言うのではないか異物との出会いを加速する装置が発明された歴史はもう覆らない異物との出会いを加速する装置が発明されたことは俺のせいではないその装置を「異物との出会いを加速する装置」と呼ぶのは俺の無知か誤解かもしれないが倫理的欠陥ではない俺のことを倫理的な言葉で非難するな俺のことを馬鹿と呼べ馬鹿と読んで教えろ俺が何を勘違いしているか教えろこれくらいの変な言語実験で驚くな驚くなかれこのような読者罵倒芸はその筋ではもはや古典的に確立されたものでそういうあなたの知らない世界が押し寄せてくる想像外の馬鹿があふれかえっているそういう世界なのだネットはしかしそう俺が言うことを倫理的に非難するなどうしても気に食わなければ俺を馬鹿と呼べ馬鹿と呼んだ上でアーキテクチャーの革新をしてくださいおながいします。
本物の「脳髄解体」を見てはじめて、いかに自分が無茶なことをやろうとしていたかがわかった。自分が何かを志向していることはわかっていたが、何を志向しているのか、皆目見当もつかなかったのだ。再度、結城浩さんと稲本喜則さんに感謝!
ずっとブログを書いていれば、いつか、武者小路実篤氏のような文章が書けるのだろうか?
そうは人生甘くないんだよな。
健康に気をつけて天寿を全うすれば、運良く脳髄が解体する日はやってくるかもしれないけど、その時までに解体しないものを培わなくちゃなんないんだよね。
皆立派に生きて、この世に立派に生きられる人は、立派に生きられるだけ生きてもらいたく思う。皆、人間らしく立派に生きてもらいたい
だから、これは非常に筋が通っている話だと思う。
それで、稲本喜則さんのこのエントリーのタイトルは「そこから感じられるものは何か」なんだけど、私がここから感じたものは、第一感で吉田アミさんでした。もちろん、解体しがたいものを持ってるという意味で。