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最近、ある人から「ホームページは尖ってなければ意味がない」というような主旨の話を聞いた。個性を殺して公平で幅広い情報を提供しようとするのは無意味だ。ネットにはたくさんのページがあり、同じテーマを扱っていてもアプローチはさまざま。そして、ユーザがそういう多種多様の情報ソースから自分で選択する(できる)ことが、ネットの公平性と言うものを生みだす、という話だった。

確かに、人気のある個人のホームページは独特の感性で運営されているものが多い。総花的、八方美人的な全てにおいてバランスのいいページなどというものは淘汰されているようだ。そうすると、ネットはサイトをバラバラにしていく力を内在していることになる。

一方で、一人勝ちの法則というものもある。例えば、本を買うならアマゾン、mp3するならナップスターみたいに、ある程度の比較優位が成立すると、その差以上にシェアが拡大していく傾向だ。 No1に行くにのとNo2行くのと、地理的な違いは全くない。ブックマーク上でマウスを5mm余計に動かせばどっちだって好きに行ける。ならば、誰だってわずかでも品揃えが多い所に行くわけだ。小選挙区制にみたいなもので、50.001%取った者が全てを取る。

根本的に違うふたつの流れが、ネットの中でせめぎあっているということだ。世界を一色にする力と世界を思いきりカラフルにする力。相反するふたつの力がぶつかる時、そこには「複雑系」が生まれる。ネットがこれほどまでにダイナミックなのはそういうわけなのか、と私はひとり納得するのであった。