あなたが参加する限り、ネットはあなたの上を行く

私は、朝日 VS NHK の問題を次のような道筋で考えた。

  1. 構造的な問題として全般的に考えるか、個別の事実関係を問題にするか→事実関係
  2. 朝日が嘘をついているか、NHKが嘘をついているか→朝日
  3. 嘘をついているのは功利的な動機か、(歪んだ)正義感によるものか→正義感

その結果、オレオレ正統性とメディアの自己言及という記事を書いた。

この選択が唯一絶対的なものと考えているわけではなくて、それぞれの選択肢において、別の道を選んだBLOGもたくさん見ている。例えば、最初の選択肢で私と違う立場をとったものとしては、+ 駝  鳥 +さんのこの論考があり、最後の選択肢で私と違う立場をとったものでは、Irregular Expressionさんがあり、私はどちらにもかなり納得する。

また、これ以前に、そもそもこの問題を取りあげるかどうかという選択肢があり、これ以外に、私には見えてなくて無意識に選んだものも含めて、さまざまな選択肢がある。

私は、自分のBLOGを書く時には、自分の選んだ選択肢についてできる限り深く考えてみる。どの枝を選ぶべきかということは、あまり気にしない。自分が自然に選んだ枝があって、そのひとつの枝をとことん追求していくわけで、AIの用語を使えば、深さ優先探索である。+ 駝  鳥 +さんもIrregular Expressionさんも、そういう意味では、深さ優先探索であると思う。基本的には、BLOGを書く側は深さ優先でよいと思う。特定の枝の中にも考えることはたくさんあって、多くの議論がある。

そして、たくさんの枝が同時並行的に進んで、その中でいくつかの有力な論点が浮かびあがって来て、絞りこまれた選択肢の中から、さらにさまざまな論点が派生し、このプロセスが再帰的に進んでいく。これがネットの知性である。

これに対して次の二つの論点がある。

  • ネットの知性は良いものか?
  • ネットの知性は賢いか?

組みあわせて4つの主張があり得る。

  1. ネットは暴走するので悪いものを生み出す
  2. ネットは賢くて良いものを生み出す
  3. ネットは暴走するので面白い
  4. ネットは賢いので恐い

ネットを批判する人は1の立場である。また、ネットビジネスに関わる人は、2の立場が多い。原初的2ちゃんねらというかネットウォッチャー系と言うべきか、数は少ないが3の立場の人もいる。

私は、ここについては幅優先探索で、どの枝もほぼ同様に同意するというか気になるというか、とにかく特定の立場に立つものではないが、4の人がいないことが気になる。

特に、従来の批判的言説の伝統に立脚してネットを批判する人は、ネットの中に特定の選択肢を提示して「俺のこれを取りあげないからネットは馬鹿だ」と言っているような気がする。つまり「ネットは俺より馬鹿」と言っているわけである。

しかし、その人が、それをネットで発言した時点で、その人はネットの一部となっているのである。少なくともアーレントの言う「万人によって見られ、聞かれ、可能な限り最も広く公示される」という意識がある限りは(要するにリンク制限、アクセス制限をしなければ)、ネットのプロセスの一部になっているのである。だから、私にはそれがとても不思議に思える。「あなたがいないネットは、あなたより馬鹿かもしれないが、今や、ネットはあなたという賢い人をひとつのノードとして取りこんだのだから、少なくともあなたと同等に賢いと言えるのではないか」と思うのだ。

これは循環する問題で、そういう人は「俺の賢い主張を浮かびあがらせるだけの知性はネットにはない。みんな、馬鹿の言うことにしか耳を傾けないにきまってる。俺の貴重な提言は便所の落書きにまみれて消えて行くのだ」と言うのだろう。

だから、ネットを批判する言説の中でも、1の立場と4の立場は全く違うと思う。

そこで4の「ネットは賢いので恐い」という立場を表す言葉として「創発的権力」という言葉を提案し、


あなたが参加する限り、ネットはあなたの上を行く

というスローガンを提唱したい。