「『ハッカー宣言』への誤解説」への誤解説

ハッカー宣言という本について、白田秀彰さんが、『ハッカー宣言』への誤解説という書評を書かれている。

本はまだ読んでないが、この書評が面白かったので、さらにこれを「オレ理解」で読解してみる。


抽象化は、「世界そのもの」が本来秘めていたあらゆる可能性を、ある視点から整理統合したものであり、凡人たる私たちは、その視点の外について想定することができないため、数多くの潜在的可能性の中の一つの視点からの抽象化を「必然の結果」であると思い込んでいる。

たとえば、たくさん会社があって、それぞれの会社には「雰囲気がいい」とか「給料が高い」とか「将来性がある」とか、さまざまないい面と悪い面がある。無数の会社を丁寧に見ていては、就職しようとする人が自分はどの会社に入っていいものかわからない。その「混沌」から脱出するために、「就職ランキング」というものが提供されている。

これが「抽象化」である。これをそのまま真に受けるナイーブな学生さんは、今では少いと思うが、それでも、これを「必然の結果」と思いこんで、これによって自分の一生は決定的に左右されると考え、少しでもこの序列の高い企業に就職しようと努力している人もいるだろう。


ハッカーとは、私たちが必然として受け入れている認識のパターンを超えて、この「世界そのもの」が持っていたあらゆる可能性を試し、私たちの世界へ 従来には存在しなかった何物かを組み入れてくる能力を持った人々である。

この固定された枠組みを壊すことで、新しい可能性を提供する行為がハッキングである。内定者に情報断食のススメの中で私は、「世の中の序列は『就職ランキング』の通りで、未来永劫変わらないものだと思いこんでいませんか?」という問いかけを行なっているが、これも「就職ランキング」という既存の抽象化の外にある視点を提示しているという意味では、一種のハッキングだろう。

このような広義のハッキングは昔から行なわれていたことだが、情報技術の力によってハッカーの力が強化されたことで、様相が変わってしまうことになる。つまり


ある「ありうる世界」を「現在ここにある世界」のなかに(仮想的にでも) 実装してしまう力を持つようになった。

例えば、経常利益によるランキングが「現在ここにある世界」だとして、もしどうしても、そういう数字に直結しがちな「就職ランキング」にこだわる人がいたら、私は、はてなブックマークの中の検索ヒット数によって、ネットの中でのプレゼンスによる序列という「ありうる世界」を可視化するだろう。

別の序列を提示し可視化することで、ハッキングは説得力を増す。また、私自身が、それを見て何かを発見するかもしれない。「ありうる世界」を可視化できることは、ハッキングの力となる。

しかし、そのような可視化は、新しい権力、「ベクトル」となり得る。


ハッカーに対抗する立場として、この本は「ベクトル」という用語を用いる。これは、「世界そのもの」から生み出されてくるさまざまな可能性を一つの枠や傾向に揃えて、私たちの認識パターンを作りだし、世界をある必然性にもとづいて運行するものとして説明し、世界を秩序づけている人々のことを指している。

もっと使える「就職ランキング」を提供する企業を作ることを考えてみよう。単なる学生のアンケートや業績ではなく、ブログやソーシャルブックマークの言及数のような、ネット上のデータをいろいろ集計して、それを加味した上で、別のランキングを作るのだ。

おそらく、現在の「就職ランキング」に漠然と不信をいだいている学生さんたちは、これに飛びつくだろう。その新しいランキングは「世界を秩序づける」ことができる。

その権威は、権力となり商売になる。

その「真・就職ランキング」は、ネット上のデータに依存することで信頼性を得る。しかし、完全に機械的な集計は誰にでも作れるので、それが商売として成立つためには、さまざまな味付けが必要だ。その「味付け」の部分は公開されず、作成者の意図によって制御される。


ベクトルは、ハッカーが行う創造に期待し 依存しながらも、ハッカーの生み出すメタ生産を稀少性と差異を生み出すような方向へと制御しつづけなければならないわけだ

その「制御」は、さまざまな疑念を生み、2ちゃんねるやブログでの話題を提供するだろう。ベクトルにとってハッカーは、協力者でありながら敵対者であり、両者の間には微妙な緊張関係がある。


ハッカーがコンピュータと結びついたことで、ベクトルの利益と支配は脅かされている。もちろん、ベクトルはハッカーの利害をも操作することで、ハッカーが生み出す剰余を自らの利益に組み込もうとするだろうし、現在の利益を求めてベクトルと妥協するハッカーも当然のように存在するだろう。しかし、根本的には、ハッカーはベクトルとは、解放と統制という相容れない原則に立脚する存在である。また、コンピュータが可能としたシミュレーションは、ハッカーが創出・発見した「もうひとつ」の「ありうる世界」を説得力とともに提示するものとして、「現在ここにある世界」を必然として説得しようとするベクトルを脅かすことになる

緊張関係の行方によっては、たとえば、特定の企業の順位が妙に高いという話題が祭りになったりということが多発したら、「真・就職ランキング」の権威を維持する為には、何か腹黒いことを考えないといけなくなる。


それゆえ、ベクトルは、情報の管理の手段である、知的財産権とセキュリティ (特にプライバシー侵害、危険情報、猥褻情報の抑制)の必要性を訴え、説得し、制度化し、次の世界における「必然」にしようと努力している。


私たちには、ベクトルの価値観とハッカーの価値観のいずれを選択することがより望ましいのかという選択肢を与えられている。そのときベクトルの価値観からのみ判断をすることは避けなければならない。

ここでは、説明の為に、「就職ランキング」という、すでにボロボロの「抽象化」を例にした。ボロボロの「抽象化」は「メタ視点」に立ちやすいが、我々は、もっと見えにくい洗練された「抽象化」に、さまざまな形で依存し、それを「必然の結果」と考えている。実際のハッキングによって揺さぶられるものは、「就職ランキング」よりもっと深刻なものだろう。

この「ハッカー VS ベクトル」という対立図式は、宮台さんの過剰流動性への不安を中心とする図式に通じると思う。

  1. ハッカーが既存の「抽象化」による秩序を崩壊させる
  2. 混沌(過剰流動性)が発生する
  3. 混沌(過剰流動性)への恐怖がベクトルへの欲求(ヘタレ保守)を生みだす
  4. 古い「抽象化」でもなくヘタレ保守でもない、別の選択を迫られる

ベクトルは、ヘタレ保守を味方にすることで、ハッカーのもたらす過剰流動性をおさえこもうとするだろう。その武器は、広義の「セキュリティ」になるだろう。それに対して、意識的に決定的な選択をしなければならない時期が近づいているのかもしれない。

ちなみに、訳者のid:using_pleasureさんは、「のまネコ問題」は「ベクトル主義者vsハッカー」という構図にピタリと当てはまる典型事例なんだよな。とおっしゃっているが、これも全くその通りだと思う。