「無宗教」の与える違和感

キリスト教=巨人ファン、イスラム教=阪神ファン、仏教=アントラーズファン、という喩え話を思いついた。巨人ファンと阪神ファンは宿敵同士で一生仲良くできないけど、お互いに相手のことを理解できる部分が多い。ケンカはするけど、相手の言葉の微妙なニュアンスまで理解できる。理解できるからケンカするという部分もある。

アントラーズファンとは、野球とサッカーというジャンルの違いがあるので、微妙にズレが生じてくる。例えばサッカーでは「戦術」という言葉が出てくるが、こういう概念は野球にはなくて、なかなか話がつうじない。一神教の世界から仏教を見るとこんな違いがあるのだろう。「アントラーズと巨人とどちらが強いか」という設問は無意味だから、ケンカにもならないけど、仲良くするのもちょっと難しい。

しかし、巨人ファンから見て一番やりにくいのが「スポーツなんかちっとも見ない」という人だろう。例えば、巨人ファンがこういう人の接待をするハメになったら途方にくれてしまい、アントラーズファンの方がずっとましだと思うだろう。そして、我々日本人が自分のことを無*宗教*と言う時、この巨人ファンと同じくらいの違和感を持たれることを忘れてはいけない。巨人ファンにとっては「チームが違ってもいい、違う競技でもいい、観戦するのが嫌いで自分でやる人でもいい、とにかくなんでもいいからお前はスポーツというものと接点がないのか」と感じるだろう。