簡単に結論の出ない問題

読売新聞によるとハリウッドで「フランダースの犬」の実写版が作られるそうだが、この映画なんと結末が2とおりあるそうだ。原作どおりネロが凍死してしまうバージョンと、最後に助かり父親とも再開するバージョンができていて、各国の配給会社がどちらかを選択するようになっている。そして、アメリカではハッピーエンドバージョン、日本では原作バージョンが選択されるらしい。

アメリカのニュースサイトを見ていると「XXX社は本サイトのスポンサーです」という注記が書いてあることがある。XXX社の製品や関連技術、競合している会社などについての報道には、こういう注意書きがつくようだ。つまり、「このニュースはXXX社の圧力で事実を曲げて報道しているかもしれません。それは、読者が判断してください」と言っているわけだ。

どちらもすごく健全なことだと思う。「悲劇的な童話の結末をいじっていいか」「ジャーナリズムと資本の関係はどうあるべきか」世の中には、こういう簡単に結論の出ない問題がたくさんある。わからないなら、わからないと言えばいいものを、「これが正解だ」と言ってしまう。そこから、いろいろなことが歪んでくる。

日本では「新聞は厳正中立だからスポンサーの意向で事実を曲げることはありません」と言う。それはいいけど「だから、スポンサーの名前をいちいち明記する必要もありません」となるとちょっと??で、さらに「スポンサーの名前を注記することは、圧力の存在を認めることになります。だからできません」と言い出す。官僚がおかしなことを言ったりやったりする時もだいたいこういうパターンで、間違いの存在を認められないから、それを防止したり修正する策も打ち出すことができない

大前研一がテレビで言っていたけど、2000年問題もこれと同じ状況になっているようで、日本では「対策が完了している」と大本営発表してしまったから、トラブル対策が取れなくなっているそうだ。アメリカでは、「努力はしたが一部は間に合わない。ついては、こういうトラブルが予想されるので、事前の対策として・・・」とアピールをし、いろいろな具体策を打ち出している。経験がなく何が起こるかわからないことだから、いろいろ準備が必要なことは言うまでもない。