ものが言いにくい世の中?

(1/26 追記)筑紫哲也氏の発言の意図は、ここで述べた私の想像とは違っていました。詳しくは、コチラ

確認してないのですが、筑紫哲也さんがNEWS23で「ものが言いにくい世の中になった」と言ったそうです。もし本当なら、非常に不思議な発言です。

ネットの中でも朝日新聞の主張は全く制限されていません。むしろ、この問題が起きてから、asahi.comへのアクセスは増えてると思います。

2ちゃんねらは、朝日批判のブログばかり見ているわけではなくて、むしろ、目を皿のようにして朝日新聞の記事原文をよおく読んでいます。悪意のある解説つきの引用だけではなくて、一字一句おろそかにせず原文を精読してる人もたくさんいます。何しろ、ニュー速プラスは元記事がなければスレが立てられないわけですから。

さらには、幅広い情報源から信頼できる関連資料を集めています。例えば、共産党による朝日新聞の取材姿勢の批判とか。

「ものが言いにくい世の中になった」とは、どういうことでしょうか。

  1. 発言の機会が奪われる
  2. 発言を歪曲されたり一部を切り取って伝えられる
  3. 特定の発言を前後の流れと切離して批判される

少なくとも、一定レベル以上の注目を集めた、組織/人/事件については、ネットの中ではこういうことは起こり得ないと思います。

筑紫さんが何を言っても、それはテレビや出版と違って時間や枚数の制限なしにそのままネットの中に広がります。例えば、問題の番組でも、政治的圧力による改悪が行なわれたなら、ネットで元のバージョンを流すことは可能です。それが多くの批判を受けるかもしれませんが、本人が望む限り、常に再反論の機会はあります。

もし、本当にそう言ったとしたら、「こうまで注目されていては発言しにくい」としか解釈できないんですが、どうなんだろ。