内田樹の研究室: カトリーナのもたらした災禍

やっぱり、これは「階層」と「銃」の問題ですね。もちろん、災害対策としても不備があったんでしょうが、アメリカの一部の地域における完璧な災害対策とは、「武装避難民」という他の国ではあり得ない存在に対する対策を含んでないといけないわけです。

そこまでやらない中途半端なものなら、かけた金が無駄になるのでやらない方がマシ。少なくとも合理的なものではありません。堤防作ったって、武装避難民の発生が防げないなら、避難や警報の方に金をかけた方が効果的です。

アメリカはそういう合理性は、やはり図抜けて徹底してますね。

しかし、唯一合理的な選択ができないのが「銃」の問題で、「市民の武装化」を否定すると、インディアンの虐殺が自衛でなくなっちゃうから困ってしまう、と岸田秀さんは言っています。この説明以上に、アメリカの唯一の非合理性を合理的に説明する人を私は知りません。

アメリカは日本に対して、「アメリカになれ」と言い続けていますが、そのうちに、アメリカと日本の違いはこの問題だけになって、その時には日本に「市民を武装せよ」と言うしかなくなるでしょう。

「市民の武装」から発生するコストは災害対策だけでなく、いろいろな所にかかっています。宅配便のコストだって、お届け先が武装している可能性がある国と無い国では随分違ってしまうでしょう。ひょっとしたら郵政民有化で、その違いが国家の競争力の違いとして見えるようになるかもしれません。

アメリカは、これまで日本にいろいろな自由化を迫ってきたし、これからも言い続けるでしょうが、どんどん言われた通りにしてしまえばいいんです。そうすれば、日本の非合理性から発生する余分なコストがどんどん消滅していって、最後には、日本は何をするにも、「市民の武装」から発生するコストの分だけ、アメリカより安くすむ国になるでしょう。

もちろん、それをアメリカは良しとするわけはないんで、何かと注文をつけてきます。いろいろな口実を工夫すると思いますが、本音は「日本の市民も武装化せよ」でしょう。

その時に、口実となるような非関税障壁が少なければ少ないほどよろしい。「あなたが言いたいのは、『日本の市民も武装化せよ』なんですね。そこに不公平があることは理解できますが、あなたの方が市民の武装化をやめれば、お互いハッピーで公平ですよね。なぜそれをしないんですか?」と痛い所を、グリグリグリグリグリとこねくり回してやればいいんです。

その時は、ファッビョーンという言葉はアメリカ人の為にあったかと思うような騒ぎになるでしょう。