「オウム」を超えようという志

村上春樹*が新作を発表した。しかし、私は当分読まない。ひょっとしたら次の作品の発売まで待つかもしれない。なぜかというと、読んでしまうと「自分のまだ読んでない村上春樹作品」がこの世から消滅してしまうからだ。

しかし書評は読む。ネタバレになってもかまわない。どうせ彼の作品を正しく紹介できる者などそうはいない。他人が書く「あらすじ」や「テーマ」と、彼自身の文章で彼の小説の中に現れてくるものは、全くの別物、違う次元のものだ。だから、これまで書評を読むことで、そういう私の辛抱に支障が出ることはなかった。

ところが、なんとも私の食欲をそそるうまい書評に(うっかり)巡り合ってしまった。 MYCOM PC WEBというメールマガジンの5月11日号にある、布施英利氏の書評だ。

この小説を読んだぼくの妻は、地下鉄サリン事件をめぐるノンフィクションを書いた村上春樹が、そういう取材体験を経て、どんな小説を書くのか、と期待していたという。しかし、そういう意味での社会性のかけらもない、女の子の恋と失踪を書いた小説だ

そうなることは私も予想していた。しかし「ストーリーの要約」でなくこの小説の本質は何かというと「誰もいない宇宙をさまよう人工衛星のような」「絶対的な孤独感」であり、

村上春樹が、宇宙をさまよう「スプートニクの恋人」などという小説を書くのも、人間にとって根源的なある感覚を探り当てようという試みに他ならない。たしかに「オウム」を超えようという志のある小説なのだ。

だそうだ。せっかくのやせがまんを打ち破るうまい紹介だ。どうしてくれる!