読めば確かに「コンテンツの未来」を感じて気持ちが明るくなるよ

CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ (NT2X)
CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ (NT2X)

だから目先の、というかたくさんの人を納得させる理屈だったり、これで儲かっていからとか、こうやったら儲かりますよというようにいわゆるマーケティングをベースにした企画書を書くとそうなるんですよ。でもそうじゃない。コンテンツは、実は「人の心」というわけのわからないものを動かしてナンボだ、っていうことにもう一回戻っていかないと、本当にやせ細っていくだけだと思う。(P26 土屋氏発言より、強調は引用者)

冒頭の鼎談で出てきた、この発言を読んで「ああ、もうこれで元を取った」という気になった。

「元を取った」と言っても、実はこの本は献本でいただいて読んでいるのだが、タダでもらえたからといって気楽に読み流せるわけではない。

私にとっては、献本をいただくというのは相当なプレッシャーであり、むしろ自分の金で買って読んだ方が気が楽だ。

それを作っている編集者の方から本をいただくというのは、私にとっては大事な縁であり、大切にすべきものである。「大切にする」とは、ただ、自分のブログで宣伝して売上に貢献すればいいということではないし、内容を理解してきちんとした書評を書けばよいというものでもない。そもそも、このブログを読んで送ってくる以上、そんなことを期待されているとは思えない。

その本が自分にとってどういう意味を持つ本であるか、そこをちゃんと見極めなくてはいけないと、私は考える。そして、自分なりに受けとめたその意味を自分の言葉で書くべきだと思う。

私は、これまでたくさんの本を読んで多くのものを得ているので、編集者や著者の方ではなく「本」というメディアに対して、そういう借りを負っていると、そういう風に考えている。

これは、自意識過剰の変なこだわりで、少しも普遍性を持つものではないと思うが、私は、いろんな所に変なこだわりを持っていて、他にもたとえばCDを買う時は、どんなジャンルの音楽でもバックミュージシャン、特にドラマーとベーシストを気にしながら買う。ユーミンの旧譜をCDで買い直した時も、細野さんが参加しているものを優先して買ったし、ドラマーの林立夫論をブログに書いたこともある

こだわりのあり方は人それぞれだが、コンテンツというのは、そういう変な思いこみや個人的なこだわりの中で消費され、また作られるものであり、そこに本質があると私は思う。

冒頭に引用した発言が素晴しいと思ったのは、さすがにT部長は、そこの所をよくわかっている、それがわかったからだ。

ホスト役の小寺さんも、最後の対談で似たようなことを言っている。

コンテンツって最終的にどうなればOKかというと、人間の脳に入って記憶されればそれで終わりなんですから。形として未来永劫残ったからといって、人に見られなければ何の価値もないんですよね。(P293 小寺氏発言より)

そうなんですよ、コンテンツの価値は、消費する人間の中にどれだけの足跡を残したかで決まるものですよ。

私という人間は、これまでの人生で消費した大量の優良コンテンツが残した思い出と傷跡でできているようなものだ。きっと、私を火葬場で焼いたら、残るのは骨ではなくて、大量の優良コンテンツ群だと思う。他のものは煙になって消えてしまっても、私が消費したコンテンツの足跡がそれと一緒に消滅するとは私には思えない。

だから、そういうものをビジネスとして扱う方々は、特有の心構えが必要なのではないかと昔から思っていた。

昔はヒットチャートには野生があった。レコード会社の幹部と言えども、自社の命運をかけた新人歌手が来週のチャートのどこにいるのか予想できなかった。だから、毎週のチャートを見ることそのものの中にスリルがあって、それ自体にワクワクしたものだ。

レコード会社にとっては、これを自在にコントロールすることは悲願だったのかもしれない。だが、それは生と死の扉を開け放つような行為であり、それを成し得た瞬間から、毎週毎週ヒットチャートは徐々に鮮明さを失なっていった。今、チャートを見ても何も感動がない。野生を失ないコントロールされたヒットチャートに魅力はない。ゲド戦記に書かれている、意味と命と色彩を失いつつ徐々に荒廃していく世界がこれにそっくりだったんだよ。

今年はミリオンヒットが1曲だけだったそうだが、音楽産業は市場をコントルールする能力を得ることで市場を失なったのだと思う。企業経営にきれいごとは不要だが、命あるものを扱う業者は商品を殺してはいかん。あたりまえのことだがそれでは商売にならない。

この本を読んで一番よかったと思うのは、そういう文脈での「コンテンツとは何か」ということを、出てくる人がみんなよくわかっているということだ。

正直言って、マスメディアを通して聞く、コンテンツ産業の関係者の発言からは、それが感じられなかった。だから、私はどんどん悲観的になり、ブログに書く言葉はどんどん尖っていったのだが、そういう人たちばかりではないということが、よくわかった。

それと、何人かは、ネットの現状への理解がちょっと今イチと思う所もあったが、それも問題ではないということもよくわかった。

一番わかりやすい例は、土屋氏の第二日本テレビが、番組にURL(パーマリンク)をつけてなかったというエピソード。その問題点を指摘されて土屋氏は

まさにおっしゃりとおりだと思いますよ。それを1年半かけてようやくわかってきた(笑)。そんなにかかるなよっていう話もあるんだけれども。(P17)

と答えている。

「そんなことにようやく気がついたのか」とは思うけど、この答えは、土屋氏が今は本当にこのことを良くわかっていることを示していると思う。そこから来る自信を感じる。自信がなければここまで素直に間違いを認めることはできない。

トップページでなく個別の番組にリンクさせる方がずっと良いというネット側から見た常識は、コンテンツ側というかテレビの人には、本当に飲みこみにくい事実なのだと思う。そこには大きな壁がある。いくら時間がかかってもその壁を自力で乗り越えてきたということは、この人の凄さを表している。

間違っていてもその間違いから来るフィードバックをしっかり受け止ることができるのは、自分自身の地位やプライドより自分が扱っているコンテンツの方がずっと大事だからだと思う。そこにどういうギャップがあっても壁があっても、自分のコンテンツをきちっと見てさえいれば、そんなものは乗り越えられるのではないかと、この本を読んでいて思った。

というか、コンテンツもネットも、うっかりわかってしまったらおしまいだ。それが何だかわからないことを骨身にしみてわかっていて、そのわからなさの中で泥まみれでもがく覚悟のある人だけが、それを少しは知っていると言う権利がある、そういうものだ。

そこをちゃんとわかっている人たちをずらっと並べて、題名が「コンテンツの未来」である。なかなかグッドジョブだと思う。

読めば確かにコンテンツの未来を感じて、気持ちが明るくなるよ。