最高クラスの「荒らし」としての梅田望夫

梅田さんのインタビューがすごい反響を巻き起こしているが、この喚起力は梅田さんの立ち位置と切り離せないものがあると思う。

つまり、普通の40代後半のおじさんが全く同じことを言っても、ここまで騒がれることは無いだろう。

発言の中身そのものは、意味が無いとは思わないが、一連の著作と比較したらその意味はずっと薄い。少なくとも私は、「シリコンバレーから将棋を見る」の方にずっと興味がある。

梅田さんは、しっかりと資料を集め、吟味し整理し、練りに練った文章で力を発揮する人で、褒めるにしろ貶すにしろ、そういう力作を対象にすべきだと思う。今はサバティカルの時期でそういう作業をしてないんじゃないかという気がする。そこから垂れ流される愚痴にはあまり意味がない。誰にだって緩む時期があったっていいと思う。

ただ、「どうして梅田望夫はこれだけの影響力を持ち得たのか?」ということには興味がある。

この影響力のユニークさは、ほぼそのままイコール、梅田さんの立ち位置のユニークさだろう。単なる西洋かぶれの知識人でもないし、時流に合わせて変節する評論家でもないし、正論のふりをしてポジショントークを語る経営者でもなし、青臭い現実ばなれした正論をふりかざす若造でもない。

このインタビューが梅田さん以外のものだったら、読者は反発を覚えたとしても、上記のような既成のポジションの型紙にあてはめて、「まあ、こういう人はこういうことを言うよな」くらいで素通りしてしまうだろう。

それを許さないで、きっちり反論を吐き出させてしまう所に梅田さんのユニークさがある。

Wikiを荒らすには、それらしいこと書く必要がある。つまり、異物であること簡単に検出できないようなことを書かないとだめだ。主要なメンテナでないと直すことをためらうようなことを書く必要がある。

単純にページの内容を消したり、「四露死苦」などと書きまくったらすぐ復旧される。異物であることが誰の目から見ても明らかならば誰でもすぐ直せてしまうからだ。履歴や前日データ等が変更不可の状態で参照できるようにしておけば、メンテナがoff lineであっても、普段見てるだけの外部の人間が小人さんになってすぐ直してしまう。

だから、異物であると簡単に判別できないこと、つまりメンテナ自身にも嘘か本当か簡単に判別できないようなことを書けばよい。そのような書きこみを連発できれば、消す時に真偽を調べる時間がかかり相手は相当困るだろう。しかしこれでも、荒らす側の労力に対して線型の効果でしかない。

ベストなのは、メンテナの分裂を誘うような書きこみをすることだ。つまり、「この内容をこのWikiに入れるべきかどうか」ということについて、あるメンテナがYESと言い別の人がNOと言い、簡単に結論が出ないことを書いてしまえばよい。多方面からポリシーの盲点をついていけば、メンテナ間で議論が始まりかなりの時間が稼げる。うまくいけば、議論が喧嘩になりWikiが消滅する。

つまり、SARSのように免疫系の暴走のトリガーになるのが、最も効率的なWiki荒らしであるということになる。

これは、言い方を変えれば「自律的なコミュニティーを消滅させるにはどうしたらいいか?」ということだ。

迫害するのは一番ヘタなやり方で、叩けば叩くほど、メンバーの団結力が高くなる。何らかの強制力や多数の声の暴力でWikiをつぶすことはできるかもしれないが、そんなことをしても、むしろ、Wikiの背後にあるコミュニティは、より一層まとまってしまう。形を変えて、どこかでその力が噴出するだろう。

そういう場合の定石は分断統治だ。コミュニティの半分が賛成し半分が反対するような妥協案を出す。これは迫害よりはずっといいやり方だが、正確に半分に割るにはそれなりの労力がいる。二つに分裂したコミュニティは、それぞれがより団結力を増しているので、それをさらにもう一度分裂させるには、もっと大きな力がいる。

だから、一番効率的な方法は、そのコミュニティのまとまりの核にあるツボをつくことだ。

誰もがそれについてひとこと言いたくなって、それがみんな違う意見になってしまう、そういう言説を提示すればいい。

梅田さんの言説そのものと、ものの言い方と、梅田さんのポジションを合わせた時に、それと似た破壊力が発生するのではないだろうか。

そして、一番創造的なことは、一番破壊的なことと紙一重である。

関係あるか怪しいが、ジョブスはベンチャー企業とかビッグビジネスの世界にロックンロール的世界観を持ち込んだ初めの人間だと思う。全体的にもちおの手に負えないクレイジーさとかがあるジョブスだけど、特にはその美への偏熱狂に退廃を感じる。光速を超えて膨張する宇宙の傾向の香りがする。観察のかなわない領域を邁進する盲目の。「もうこれ以上美しくしたら会社つぶれますよアート作品になっちゃう!」って、美もわからないモチオがちびりながらさけびそうなジェットコースター的加速度がiPhone製作プロジェクトにはあったと邪推する。ジョブスが何人の優秀な人たちを無礼にもちびらせてきたか。この力と、それをなんとかビジネスとして成り立たせようっていう力の、緊張感とその止揚が、アメリカのネットカルチャーをつくってきた作り手の側にはあると思う。

その点では、ジョブズのビジネス+立ち位置(というか彼にまつわる神話)と似ている。

ジョブズは、コンピュータビジネスに対して、両論併記で終わらせないくらい破壊的で創造的だ。賛成しても反対してもなかなか話が終わらない。「こういう人はこういうことを言うよな」「こういう会社はこういうことをするよな」で終わらせない。観察者でい続けるつもりだった人も、知らないうちに巻き込まれてしまう。

そして、梅田さんがこの力を獲得したのは、はっきりとした理由があると私は考えている。

それは、梅田さんは日本語を使う人の中で一番「ネットを深く掘った人」であるからだ。

ここでは「ネットを深く掘る」あるいは「ネットの深さ」という言葉を、ひどく特殊な意味で使おうと思うのだけど、それは、「当事者として異質な価値観に接した経験の物量」くらいの意味だ。

梅田さんよりネットのいろいろなツールに通じていて、もっとたくさんのブログやニュースを読む人は、もちろん、いくらでもいると思うけど、たいていの人にとって、自分が読むものに対し自分は第三者だ。

梅田さんは、「人体実験」として、自著へのレスポンスをたくさん読む。ベストセラーを書くということは、異質な価値観、異質な経験を持つ読者を得るという意味では、ブログとかと比較にならない。機械を使ってそれを体系的に集め全部読むということは、非常に特殊な経験で、人体実験という言葉がまさに適切だと思う。

梅田さんよりたくさん本を売った人も、もちろんたくさんいて自著への感想や批判にまめに目を通す人もいるだろうけど、たいていの批評はあるポジションの中から特定のフォーマットに添って半自動的に生産される。本当の意味での当事者がいないのだから、書かれた方がそれに目を通すとしても、当事者ではないだろう。

ネットにある感想は、ほとんどが、全部、生の声だ。質はさまざまだが、生か生でないかと言えば、ほとんどが生だ。書いた当人が露出していて、そういうものはどんな幼稚な感想であったり、ひどい誤読であったとしても、書いた人は当事者として読まざるを得ない。

「ネットを深く掘る」とは、「アウエィでありかつ同時に当事者である」という経験の総量のことで、これに関し梅田さんは、村上春樹に匹敵するようなレベルなのではないだろうか。普通に客観的に事実を解釈し当人の言うことを信じれば、そういう結論になる。

そういう種類の経験を多量に摂取しすぎると、ちょっと人間は変調を起こすのかもしれない。私は、Twitterの炎上事件以降、梅田さんは何だかちょっと変だと思うのだけど、それはおそらく、「人体実験」の副作用で、これまで地上に存在したことが無いような性質の特殊な力を得たというふうに解釈している。

自分が「なんだかちょっと変だ」と思うものを「力」と呼ぶことはどうかと思うので、これまで書かなったけど、今回のインタビューの炎上っぷりを見ると、それは力と言ってもいいような気がする。これくらいのことをしないと、日本を刺激することはできないだろう。

「変調」と言っても、本を書けば普通に面白いし、たぶん話をしても普通だろう。めったなことでは表面化しないものだと思うけど、その破壊的であると同時に創造的である部分を見事に引っぱり出したユカたん記者ってなにそれこわい。

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