ブロードキャストという有害なまぼろし
インターネットのハンドルとエンジンに書いたのと同じような意味で、電波による通信の「エンジン」にあたる本質は何かと考えてみた。それは「一方通行のメッセージ伝達」ということではないかと思う。
それは、トランシーバによる会話が非常に不自然なものになることに表われている。トランシーバは、本来、一方向にしか送れない電波によるメッセージを無理に切り替えて双方向で使っている。だから、送信と受信の切り替えの時に「オーバー」とか「どうぞ」とか、発信が終わったという合図を明示的に伝えなくてはならない。無理して自由に喋ろうとすると、往復で帯域を二倍使うことになる。
それに対して、「放送」という形式は電波を有効活用できる自然な使い方だ。一つの発信源と帯域によってたくさんの受信者にメッセージを届けることができる。
ネットの自然な使い方は双方向の1対1の通信で、電波の自然な使い方は一方向のブロードキャストだ。
ブロードキャストはネットワークセグメントの全域に配信されるため、使用頻度が高いとネットワークに過大な負荷をかけてしまう。そのため、上位のネットワーク層で多用する事は推奨されない。
電波で双方向の対話を行なう為には複雑な仕掛けが必要となり、IPネットワークでブロードキャストを行なうには、細心の注意が必要になる。
そして、この「ブロードキャスト」という概念は非常に広く普及している。ラジオがあれば実際に体験してそれが何かを知ることができるし、テレビの放送は、日常生活のさまざまな所に入りこんできている。
電波というテクノロジーは、それがものがどういうものなのかについて、専門家以外の一般の人たちの間でもとてもよく理解されていると言っていいだろう。
これは、電波によるアプリケーションの普及にはプラスに作用したと思うが、大きな副作用があったと私は思う。
「ネットやゲームにひたりきって、それと現実との区別がつかなくなる」とよく言われるが、20世紀の人類は、電波という技術による恩恵を享受するあまり、それと現実との区別がつかなくなっているのではないだろうか。
現代人は、「ブロードキャスト」という現象、つまり、誰か一人が声を発すると、その誰かに何の反作用もなく関係者一同に全く同じようにそのメッセージが届くという現象を、あたかも現実に存在するかのように考えるようになってしまった。
たとえば教室で教壇に立ってみればわかるように、そんな現象はリアルな世界には存在しない。
リアルな世界では、届く内容は受信者次第でいかように曲げられるし、居眠りとか私語とか、逆に注目の視線を痛いほど感じるとか、有形無形のさまざまなフィードバックを受ける。
現実世界には、一方向の通信は稀な場合しか存在しない。ほとんどの場合、メッセージのやりとりは双方向で、目立つ発言をしたり大声を出したりして、届く範囲が広ければ広いだけより多くの反作用を受ける。電波のようなブロードキャストなんてものは存在しない。
しかし、20世紀の権力者は、電波による放送を活用して権力を維持しているので、ついついその電波というヴァーチャルな世界に入りこみ現実との接点を失ってしまう。つまり、いかに権力の差があっても人間同士のやりとりは常に双方向であることを忘れてしまい、あたかも、自分が「ブロードキャスト」しているような気になってしまう。
それどころか、組織内部のコミュニケーションをトップダウンのブロードキャストモデルで考えてしまうようになる。
電波というテクノロジーを知らなかった頃の人間は、そんなふうに考えただろうか。そんな概念を理解しただろうか。
1990年代まではインターネットもしょせんはマス媒体をウェブ化しただけで、言論のフラット化なんて起きなかった。だからそのころまでは彼らもネットをある程度は理解していたと思うのですが、2000年代に入ってブログの登場などソーシャルメディアが台頭してくると、言論は瞬く間にフラット化された。しかしこのようなソーシャルでフラットな世界というのは、その場に身を置いている人間ではないと皮膚感覚として理解できないんです。
毎日新聞社をはじめとするマスコミに長くひたっている人たちは、ブロードキャストという架空の概念があたかも実際に存在していると錯覚してしまっているように見える。
たくさんの人にメッセージを流せばたくさんの反応がある。そんな単純であたりまえのことにびっくりしてしまっているようだ。
それに、人間の価値をブロードキャストする側かされる側かで区別しようとする人も多いような気がする。そして、無理してでもブロードキャストする側に回ろうとする人。経済をそういうモデルでとらえがちな人。
そういう人は、電波の世界の出来事と人間の世界の出来事の区別がついてないのではないか。
ネットの中のビット群と自分との区別がつかなくなってしまうのも問題だが、自分が電波のように思えてしまうのもひどい妄想だ。
今は、ニコニコ動画とか実況板とかあって、テレビにも自由にツッコミが入れられる。これからは、一方向のブロードキャストという妄想から醒めて、人類全体が少しは正気になっていくのだと思う。
オバマのメディア戦略の鍵となる人が、ブロードキャストの専門家ではなく、SNSという双方向のメディアの専門家であることは象徴的なことだろう。