黒船の時代を生きる
前のエントリと関連して、もうひとつ言っておきたいことがある。
私は「パラダイス鎖国」肯定論者ではない。そもそもここをパラダイスと感じたことなど一度もないし、鎖国をしていたら経済は壊滅状態になるだろうと思っているし、鎖国を通すこともまずできないだろうと考えている。
「利権が無い文化を育てれば日本は生き残れる」という最初の記事のタイトルが、海部さんにも他の何人かの人にも「コンテンツを売れば日本は楽勝で何も変えないでそのまま生き残れる」というような主張であると受け取られてしまったみたいだけど、自分としては「このままではほとんど滅ぶことが必然でわずかな光明を見出すとしたらそこしかないのでは」という感じで、「生き残る」という言葉を使った。
ただ、鎖国が壊れていく瞬間を内側から目撃できることはラッキーだと思うし、ワクワクしている。そうならなければ、一つの国が滅んでいく決定的な分水嶺を目撃できるわけで、それもそれでラッキーだと思う。
それで、最近、このアルバムを良く聞いている。
→アンカテ(Uncategorizable Blog) - 黒船(嘉永6年6月4日)(インストゥルメンタル)
この中には「どんたく」という曲があって、これがまたいい。
上のエントリで取りあげた「黒船」という曲(というかA面全体)が、政府じゃなくて幕府がおたおたして混乱している様子を表現しているのに対し、こちらは庶民のたくましさみたいなものがテーマになっている。
「異人さんたちはね、日曜日と言って」で始まって、庶民たちが興味津々で「異人さん」の風俗や日常生活を遠巻きで見ているという歌だ。それで最後には、「それがどんたく、お祭り騒ぎ」と一緒になって踊り出して終わり。「日曜日」は休日でなく「飲めや歌えや」の日だと勘違いしてるみたいな気もするけど、まあいいや、とにかく一緒に騒ぎましょうみたいな。
高橋ユキヒロと小原礼の軽快なリズムでちょっとした文化摩擦を軽く強行突破しているような歌。
若い時には、このアルバムの中にこんな対比があったとは気がつかなかったけど、これは、音楽的にも完成度が高くて本当にいいアルバムだ。
ついでに言えば、「四季頌歌」も名曲で、これは日本の四季の自然の移り変わりを音で表現している曲なんだけど、その絵の中には常に人がいる。明示的ではないけど人がいる風景が描かれていて、これもこの年になって初めて気がついた。
そういうふうにして、黒船を迎える日本の揺れる部分と揺れない部分を同時に描いているんですね。
揺れている部分から目を背ける人はリアリストとは呼べないけど、揺れている部分だけを見る人もリアリストではないと思う。
「鎖国」については、「開国」に向けて努力すべき所と、避けがたい宿命として受け入れるしかない所があると思う。
そういう意味で、リアリストであるということはどういうことなのか、このアルバムを毎日聞きながら考えている。