「モノ作り」という概念と「WEB2.0」という概念
「更新を休みます」と言ったけど、必要に迫られてネットにつながると、どうしても面白いものが流入してきてしまう。
具体的な技術ではない、概念的な存在であるWeb2.0という呼び名は、サービスを利用する立場のユーザーには必要ないだろうし、実際に個々のサービスを実装する立場にある技術者にもそれほど必要ないのではないか。
日本は「モノ作り」でしか動かないというのは、一面の真実である。
しかし、「モノ作り」はモノではなくそれもまた概念。「WEB2.0」とレイヤーや曖昧さは大きく違うのかもしれないが、概念と概念の対決であることにおいては同等だ。
コンクリートはモノだけどビルはモノではない。金属板はモノだけど工作機械はモノではない。
モノに立脚しているなら、「WEB2.0」という「概念」とは無縁でいられる。でも日本が立脚しているのは「モノ」自体ではなく「モノ作り」という概念だ。モノは概念で攻撃できないが、概念は別の概念で攻撃されたら崩壊する。
人間はモノに制約されているけど、概念にドライブされて動くからだ。
「モノ作り」が「モノ」自体でなく、それもまたひとつの概念であることを見据えて、「WEB2.0」という別の概念とどう対するのかを考えなくてはいけない。もちろん、それと距離を置くという戦略はあり得るが、「モノ」自体でなく「モノ作り」という概念に頼っている以上、「WEB2.0」がいかにバズワードだろうが、それと無縁ではいられない。
ホリエモンが黒船のように「資本所有」という概念を広めて、抵抗は激しいけど徐々に受け入れられている。楽天に対してTBSは「資本所有」という概念を受け入れた上で抵抗しているようだ。フジテレビが「資本所有」という概念を拒絶していた時と抵抗の性質が違っている。「資本所有」という概念を受け入れてしまうと、どちらが最終的な「資本所有」の勝者になるかは大半の人にはどうでもよくて、ニュースバリューは低くなり、私も含めて、テレビもブログもホリエモンの時のように騒いでない。テクニカルに論じることができる人しか騒いでない。
「データ所有」が、これからの「インテル入ってる」だそうだ。所有と言っても囲いこまない所有はより概念的だ。でも、「インテル」もシリコンというモノであるよりは、かなり概念だ。キーとなる「概念」を誰が握るのかという競争であることは同じだ。
データ所有もそのうち黒船やホリエモンのように騒がれる時が来るだろう。そして、その時にどう騒ごうが、黒船やホリエモンのようにその「概念」を受けいれるしかないだろう。「モノ作り」が「概念」であることを認識してないと、日本はその時に後悔すると思う。