グーグルが従業員を子供扱いするために発生する雇用、あるいは、There's more than one way to live your life.

私は「経営者が無能であることに怒れ」と言ったけど、「有能な経営者を期待しろ」とは言ってない。特にそれを事前に判定せよとは言ってない。

経営者が有能か無能かを判断できるほど賢くなるのは後でいい。

有能な経営者を彼が会社が起こす前に見分けることは永遠に不可能だけど、既にダメな会社を経営している無能な経営者を見分けることは簡単だ。

もし月給50万円の先進国人と月給5万円の発展途上国人がいたら、前者をクビにして後者を採用するのが今どきの経営者の義務なのである。

この義務を果たさずに、先進国人を月給5万円で使うことを夢見ている経営者は無能である。そちらへ無理にでも進もうとしている経営者を見抜くことは、そんなに難しいことではない。

しかし、前者をクビにして後者を採用する為には、イノベーションとシステム化が必要であって、その為には広義のスーパーハッカーが必要だ。「広義」とは、分裂勘違い君劇場 - 「IT投資」という考え方そのものが間違っているで、「ITとは経営行為そのもの」と言っているような意味のハックだ。

そして、本物のハックは世界に多様性をもたらす。

たとえば、TMTOWTDIperlというプログラミング言語は、世界中のコードの複雑さの総量をかなり劇的に押しあげただろう。おそらく、perlが無いパラレルワールドより、我々の世界のプログラマは、はるかにたくさんの問題を効果的に解決している。

しかし、perlが無い世界には、プログラミング言語は我々の世界よりもっとたくさんある。TMTOWTDIという概念が無かったら、プログラマの質や問題領域ごとに、プログラミング言語は細分化するからだ。

だから、perlの無い世界のプログラマーがここに来たら、この世界におけるプログラミング言語の種類の乏しさに愕然とするだろう。つまり、この世界はフラットに見えるだろう。

それはある意味では正しい。perlは、おそらく多くのプログラミング言語の前に立ちはだかり、多くの言語の芽をつぶした。それによって、この世界はよりフラットになった。

しかし、そのフラットな世界において、プログラマたちは、問題領域ごとに個別の言語を学習するのでなく、perlというたった一つのプログラミング言語を学習するという、ずっと少ないコストで、より多様で豊かなプログラミングを行なうことができる。

有能な経営者とは、ラリー・ウォールのような本物のハッカーだ。本物のハッカーは、ある側面で、世界の複雑さを圧縮し単純化し、その価値によって専制を敷く。しかし、その結果、世界は多様で豊かになる。ただし、その豊かさを見抜くには、従来の物差しを捨てなくてはならない。

そして有能な経営者が経営する派遣会社から派遣されて正社員との待遇の差にあえぐか、有能な経営者が経営するフランチャイズの店長となって自分に残業代を払うのも億劫になるか、はたまたその店長の下でフリーターとして時給を受け取るか....そろそろ有能な経営者の正体に労働者諸君は気がついてもよさそうなものだが、それを労働者に気づかせないのも有能な経営者というものなのだろう。

時給や、指揮命令系統の中での権限、組織の中でのポジション等という意味では、有能な経営者によって世界の意味は圧縮され、無味乾燥でフラットで味気無くなっているように見えるだろう。これは、「perl専制によってプログラマーが序列化されている」と見るような、ピントのはずれた議論である。よい言語は、プログラマを序列化することの妨げになるし、有能な経営者は社員が一次元の序列ゲームの中で競争するようなヒマを与えない。

そもそも、このエントリについて、弾さんは言行不一致だと思う。このエントリの中の「有能な経営者像」は弾さんご自身の行動原理をうまく説明できているだろうか?やろうと思えば好きなだけフリータいじめをできるお立場であると思うが、そんなことよりブログの方が面白いんでしょ?そしてもし弾さんが本格的に会社経営に復帰するとしたら、ブログよりもっと劇的に、世界に豊かさをもたらすネタを見つけた時だろう。

有能な経営者は、より一層の豊かさを世界に求めて、その為に自分の金と権力を使う。エゴの強い人ほど、その傾向が強まるはずだ。

そして、有能な経営者は、多様で豊かなユーザを必要とするのと同時に、背後にもっと具体的にたくさんの仕事を必要とする。

現代の産業は、業種によらず有能なハッカーを多数必要とし、よく言えば「抽象化レイヤ」を提供する為に、悪く言えばそのハッカー従業員を子供扱いする為に、周辺に非ITの雇用を膨大に産み出すはずだ。

その時はバカとしか思えない人でも社長になれるところが、シリコンバレーシリコンバレーたるところなのだ。一心不乱にバカになれない奴に創業などできない。もちろん創業期を過ぎて、起業バカでは会社が回らなくなった時に社長を外から買って来れるという、「経営のモジュール化」がなされているのももう一つの秘訣であるが、一番大事なのは、バカに寛大なことなのである。

この部分は同感であり、似たようなことを昔から書いている。

だから、「社会にいかに多様で豊かなバカを継続的に供給し続けるか」というゲームには不参加は許されない。このゲームに参加しなかったら、バカでなく無能な経営者に絞り取られるという、ひどい不戦敗が待っている。

でも、このゲームに勝って、誰が一番バカなのか見極めることができれば、その時には、誰もがそのままで自分の居場所を見つけられるような、多様で豊かでTMTOWTDIな社会が手に入る。セコイ言語でのプログラミングのように、生き方を評価する軸を一種類に固定されることはなくなるだろう。