匿名掲示板でしか対立を解けないような種類の対立の世紀と21世紀の政治を妄想的に予想する
何と、「原子力発電は地球温暖化の原因である」というものすごい勘違いをしている人が、洒落にならない割合でいるらしい。それも日本だけでなく、世界中で。
という話が日経サイエンスに出てたそうだ。
念の為に解説しておくと、CO2排出を減らす為に火力発電を減らすとしたら、減った分を多少なりとも補う必要があって、水力発電を増やす為には川を増やす必要があってすぐには無理。だから、CO2排出を減らす為には原子力発電を増やす必要がある。
というか、そもそも原子力発電所はCO2を出しません(←ここから言わなきゃだめか)。
それで、「原子力発電は地球温暖化の原因である」と思っている人は、たぶん原発反対だと思う。これを一般的に広げるのは単なる印象論だけど、印象論として言うが、科学知識に乏しい人は原発反対だろう。
一方で、私は理系的ラッダイト運動という概念を考えていて、こちらは、一定以上の科学知識があって論理的思考ができる人は、原発反対になるという主張。何故かと言えば、ある程度の科学的な常識があれば、巨大技術の根幹が案外、科学的な素養が無い人間によって牛耳られているということも、ほぼ常識として理解しているだろう。だから、きちんと運用されれば期待値としての環境負荷は原子力発電が最低になることを理解していても、「万が一」の確率が「万が一」ではないだろうという予測の元に、原子力発電反対に回るだろう、という話だ。
つまり、科学技術に関する知識が平均より高い人と低い人は原発反対で、その中間が原発支持。
それで、現代の政治的難問は、全てこういう形をしていると思う。つまり、「CO2出すから原発反対派」と「理系的ラッダイト派」を一つにまとめることができれば、世の中を動かせる。でも、「原発撤廃」という具体的な政治的目標を共有する両者は、その政策を支持する理由も思考形態も基本的な概念も連帯の理念も何から何まで徹底的に違う。徹底的に正反対。
私の予想では、「CO2出すから原発反対派」と「理系的ラッダイト派」はどちらもこれから急増すると思う。でも中間の「環境負荷が低いから原発支持派」を超える所まではいかない。三分の一づつの票を分けあって、現状維持派が若干上回って、決定権を持つという状態が続く。これは少数意見が権力を持っているので、本質的に不安定な状態だ。
しかし、「CO2出すから原発反対派」と「理系的ラッダイト派」をまとめることは非常に難しい。前者は「物事を科学的に決めることが諸悪の根源」とか言って前者を怒らすし、後者は「原発はCO2出さない」と言って、それを訂正しない限り仲間にはなれないと言うだろう。中間の「環境負荷が低いから原発支持派」の方が、どちらの派とも交渉できる可能性の方が高い。根本的な結論が対立しているから、妥協したり連合したりすることは無理だとしても、少なくとも敵対する陣営とコミュニケーションが成立するということは、政治的には有利だ。
だから、政治的には不安定で、総合的な満足度が低いけれど、誰にも何とも打開できないような膠着状態が長く続くだろう。これが原発だけでなく、たくさんのテーマで起こる。該当分野の専門知識や基本的枠組みの理解度の両端に現状改革派がいて、人数としては少数だが中間にいる有利を生かす現状維持派に押さえこまれている状態。
「あるある」や「不二家」に関する議論を見てると、いたるところに呉越同舟があって、その微妙なズレを感覚的に拡大していくとそういう結論になる。
これをどうにかできるのは、アインシュタイン級の1世紀に一人か二人の天才で、科学でなく政治の分野で同レベルの天才だろう。
21世紀には、そういう方面での天才が必要とされている。
そして、私は、ひろゆきという人は、ここで必要性を訴えているその「天才」に最も近い人物だと思っている。
もちろん、今のひろゆきそのものが、将来現れるだろうこういう難題を解決するかどうかはわからない。たぶん、それは無理だろう。
ただ、その「政治の天才」が出てきたとしたら、ひろゆきよりもっと「ひろゆき」的な人物ではないかと予想する。「なんだ2ちゃんねるのひろゆきは『ひろゆき』としては二流の『ひろゆき』だったな、本物の『ひろゆき』とはこいつのことを言うんだな」と思わせるような、もっと「ひろゆき」的な何か。
なんでそう思うかと言うと、たいした根拠ではないけど、匿名掲示板は「CO2出すから原発反対派」と「理系的ラッダイト派」の共通の語彙になり得るから。それ以外に共通の語彙は無いと思うから。