RiyaはRiyaの技術の最もつまらない応用例でしかない
タイトルを思いついてから、念の為、Riyaのサイトを久しぶりに見てみたけど、予想以上にひどかった。
ひととおり見ても、何ができて何が嬉しいのか全くわからない。変にAjax使ってて、悪いインターフェースの見本みたいだ。Riyaを知らない人は、CNET Japanの記事の方を見た方がいいだろう。
よくわからないけど、写真から顔が認識できるということが凄い技術であることは間違いない。でも、この技術の可能性はRiyaのサイトを見ても全然わからない。
これは、Flashという技術を作り出した人が、Youtubeやのまネコのことを予想できなかったのと同じだ。
YoutubeがRiyaを買収したら、かなり面白いことになるような気がする。あの膨大な動画の中にある顔が全部自動認識されて、同じ顔が相互にリンクされるのだ。
同じ人物が登場している動画の関連づけで、たとえば、辻と加護が関連していることなんかは、動画があるだけで付加情報無しで全部機械が判断できる。この情報を使って、「おすすめ」を表示したら、ユーザの見たい動画がどんどん見つかっていく。辻が好きな人は加護は嫌いなのかもしれないが、それは問題ではない。「両者が関連している」という情報があって、UIを工夫してユーザにフィードバックを入れさせれば、辻を見る奴には加護を見せないというロジックを入れたりして微調整するのは簡単である。そうなったら、タグづけなんていうのは、もう完全に時代遅れになるかもしれない。
Riyaでフォトアルバムというアイディアが最低のアイディアで、Riya+Youtubeが標準レベルのアイディアだろう。では、Riyaを使う最高レベルのアイディアが何なのかと聞かれたら、それについて私に言えることは無い(あればブログをやめて起業します)。でも、言えることが一つだけあって、Riyaという技術を使う最高レベルのアイディア、flashという技術に対するのまネコやYoutube動画プレーヤーに相当するもの、そういうものがごく近い将来、出現することだけは確かだ。
「それが何であるか」は言えない癖に、「それが必ず出現する」と断言するのが、Web2.0的思考である。
「それが何であるか」を予想することを放棄して、「それが出現した後の世界」を予想するのが、Web2.0的思考である。
それが出現することは予想できるし、その後に何が起きるかも、ある程度予想できる。
技術がビジネスを変えて、技術が新しい文化を産み、世界が豊かになり、何かの値段が暴落して、いくつかの商売が消滅する。そこに、全く違う方向性を持つ複数の才能がからみあうのは必然で、そういうからみあいは極端に起こりやすくなっている。
要するに「Riya(とまだ潜行している我々の知らない別のスゴ技術)によって世界はずっと流動的になるだろう」と言うことで、それは何も言ってないに等しいのかもしれないけど、より流動的な世界に備えることは誰にでもできるし、なるべく早くやっておいた方がいいことだ。