WEB2.0サイト = 発酵食品説

地球上でモノが腐敗するかどうか考えるのに、どこからどのような細菌がやって来てどういうふうに繁殖するのか具体的に考える必要がない。同様に、WEB2.0的世界で、どこにどのようなプログラマーがいて何をするか、具体的に考える必要がないことが多くある。

たとえば、TropyText::HatenaRuby on Railsは一瞬でたくさんの言語に移植された。よいアイディアがPerlRubyPHPに移植されるかどうかを考えるのに、誰が何を何に移植するか具体的に考える必要はない。WEBを巡るよいアイディアは、特に制限しなければ、あらゆる言語やOSに移植される。

ソフトウエアには、移植以外にもさまざまな活用、展開の可能性があるが、可能なことは全て待っているだけで、自動的に起こる。WEB2.0的世界というのはそういう世界だ。囲いこまれた情報、差異によって金銭的な価値を生む情報を正常とみなすならば、WEB2.0的世界では、全ての情報が急速に腐ると言ってもいいだろう。

一定の温度と湿度があればモノは腐るし、特定の環境があれば情報やデータが腐る。

建築業界に「ソースを公開せよ」と言っても、おそらくそれは簡単なことではない。無菌室から出して公開したら、それが腐ってしまうからだ。建築において何が「ソース」であるか、私にはわからないけど、それを公開したら、会社の経営が成り立たなくなるような、業務ノウハウにダイレクトにつながる設計書やデータがあると思う。私が言っているのは、そういうものを公開せよということで、それをしたら大半の会社は腐る。

誰がどのようなノウハウをどのように盗み、どのように活用するか具体的に考える必要はない。特定の環境にそのような情報を置けば、自然とモノが腐る。ネットというのは、そういう環境である。

だから、建築会社もソフトウエア会社も、「ソース公開」というアイディアには、本能的に恐怖を覚えるのだろう。それは正しい直感だ。

アイディアが自由に流通し、囲いこみができない世界は、無菌室の中で育った人には、とてもなじめるものではない。

WEB2.0的サイトは、バイオ的エコシステムで作動する巨神兵のようなものだ。メカニカルな無菌的技術しか知らない者が中途半端に手を出せば、「腐ってやがる‥」というハメになる。

公開したデータは、盗まれ検算されそれを取りまく人の動きを推測する為に使われ、笑われ感心され無視されトホホと言われ人を感動させ時になぜか人を立腹させ、コピーされ改変され再配布され、全ての可能な使われ方で使われ消費される。大半の企業にとって、エコシステムに消費されることは「腐る」に等しいことだ。

WEB2.0的企業は、公開された議論を背景として公開されたソフトウエアで既知のアイディアを実装したシステムによって公開されたデータを使い価値を生む。彼らにとって、エコシステムに消費されることは、「腐る」ことではなく「発酵」することだ。納豆やチーズのような企業だけが、バイ菌だらけのこの世界で生き残っていけるのだ。