ネットリテラシーの基本は10年前の自分を思い出せること

正直なところ著作権問題が10年後にどういう形になっているかは わからないけれど,一つだけいえることがある.

10年後はYoutubeのようなサイトを作り,維持するコストが1/10以下に なっているだろうということだ.

そう、これですよ、これ。

これがわからない人は、議論に参加する資格が無い。

当社は、最新の高性能CPU「Pentium(R) プロセッサ(200MHz)」を搭載したミニタワー形パソコン「PV5000 5200」など、高速LANカード、大容量2.5GBハードディスク装置、8倍速CD−ROMドライブを標準装備したパソコン新製品4機種7モデルを商品化し、本日から発売を開始します。

適当にググって当時のプレスリリースをひとつ発掘したけど、10年前と言うのは、「大容量2.5GBハードディスク装置」搭載のパソコンが発売されていた年。

YouTube瀕死説は、今なら信憑性があるし、本当なのかもしれないけど、たとえこれが本当のことだったとしても、10年たったら誰も信じないというか理解できない。10年後の10代は「何でそんな回線コストが問題になるの?」とみんな不思議がって、今10代でバリバリYoutube使ってる人が「そうか、今の若い人は知らんのじゃな。わしらの頃はのう、回線というのはそれはそれは高いもんじゃったんじゃ」と懇切丁寧に説明することになる。

現状の回線コストを前提にしたサービスを前提にした著作権問題に関する議論は、それが何らかの結論に至るころには賞味期限切れになる。

物事には本質と現実があって、実社会ではそのバランスを取ることが大事なんだけど、ムーアの法則の時代には、むしろ「現実」より「本質」に重みを置いた方が現実的な議論になる。「現実」を見すえた議論は、「2.5GBハードディスク装置」を「大容量」と呼ぶくらい空虚な話につながってしまう。

デジモノに埋もれる日々: その利益は守れるか? - コンテンツ産業が直面する前門の虎、後門の狼は、そういう意味で非常にバランスの取れた現実的な見解だと私は思う。「業界が消滅する」という話と我々が今見ている「現実」には接点が無いように感じるかもしれないが、ここで、「現実」にすりよると「本質」を見失ってかえって非現実的になってしまうものだ。

(当ブログの関連記事)