ポスト小泉よりエビちゃんと山田優と荒川静香のどれを取るかだ!

essaさんはおいしいところを持って行くのは上手いと言われて確かにその通りだと思ったので、今度は逆に言わなくてもいいエビちゃんの悪口を言って無駄にケンカを売ってみたけど、ちょっとエビちゃんの悪口を言うのは恐かったですが、(今の所は)厳しい反応がなくてホッとしています。

その代わりに、私が言い足りなかった所を書き継いでいただいたようなトラックバックを二つもらいました。

あの歩き方が可愛いと思う若い人の身体感覚には、ついていけない。全くの独断と直感のみで言うが、身体感覚として「シェア」を拒否する感覚に、そこが関連しているのではないだろうか。


私個人の見方でいえば、これは当たっていると思います。私はその「エビちゃん」を知らないのでなんとも言えない部分もありますが、姿勢と身体性、その人の持っている感性は直結しています。甘えとか。日本の女の子の動き方は、基本的に「開かないまま」動いている感じがある。歩幅は狭いし、上半身と下半身がバラバラに動いているように見える。要するにバランスが悪く、体をきちんと使って動いていない。
たとえば荒川静香は大人の美しさと滑らかさを持っていて、体が流れと意志と共に動いている。彼女は「トゥーランドット」に「運命を感じた」そうだけれども、確かに言うだけの事はあり、音楽の持つ音と空気に、体の感覚がぴったり合っていた。
ただ基本的に彼女は、日本人受けのするタイプではないですね。ああいうのより、たどたどしい動きの方が、身近だし支持される。「たどたどしい」動きは、世界に対して閉じています。あれは「若い」と言うより幼いと言ったほうが当たっているでしょう。彼女たちは内向きで、最低限度の公共性にも欠けている。また「何かを知りたい」という欲求にも欠けています。
まず向いている方向性、持っている欲求から違うでしょうね。というより、自分の欲しいものも、わかっていないかもしれない。それでは自分の意思と欲求に即して動けるわけがない。この話の流れだと多少、「いいか悪いか」論になってしまっているかもしれませんが。

確かに、荒川静香の滑らかさは対局的ですね。

「素晴らしい」ことよりも「かわいい」ことの方が受ける日本と、パワフルでダイナマイトでなければ生き残れない米国の大きな差かなぁ?

そう言えば、エビちゃんと人気を二分する山田優は、米国風味とは違うけど、パワフルでダイナマイト系ですよね(ボデイではなく体の動きや身体感覚が)。

うーむ、エビちゃん山田優荒川静香の三人は、身体感覚的に日本を代表する三人であると。この三人が体の動きで表現している三つの方向が、日本人の行く末や世代間の葛藤を暗示しているわけで、ポスト小泉なんかより、この三人に注目だあ。

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