詐欺師と通り魔

詐欺師は、たとえ可能であっても有り金全部剥ぎとるようなことはしないで、あえて、被害者が生活していけるだけの金を残すそうです。温情ではなくて、そうすることによって被害発覚後の、追及の気迫が鈍るという経験的ノウハウです、コレ。

それができるのは、詐欺師が被害者の金の出入りや生活の状況、家族や親族の収入等全て把握した上で、犯行に及ぶからで、ちょうどいいくらいの金額をジャストピッタリ置いていく。

そういうふうに、こちらの情報を全部握られてから実行される犯罪と、犯人が被害者のことを何も知らずに行なわれる通り魔のような犯行とどちらがいいでしょうか?

PSE法で経産省は誰に話を聞けばよかったのか?というエントリで言いたかったのは、官僚+業界が、詐欺師から通り魔に変質しているという話。


ただし、詐欺師は悪のみの存在で、官僚+業界(のあるべき姿、もともとの姿)はいいとも悪いとも言えない中立的な存在だと私は思っています。出発点は違うけど、変化のベクトルが詐欺師→通り魔という方向と同じである。

被害者は、消費者、国民ですが、被害者が加害者に把握された状態であったのが、そうでなくなっているということです。だから、加害者の害の度合いに限度、節度がなくなっている。

もうひとつのポイントは、詐欺はゼロ和ゲームで、被害者と加害者の財産価値の総計は事前事後変化しません。通り魔は金銭的な犯罪ではないので、そういう分類は難しいですが、常識的には加害者が犯行によって得することはなくて、むしろ損していると見るべきでしょう。

あえてご本人の名誉の為に実名は出しませんが、2ちゃんねるで「逆神」と評判の評論家がいます。この人は「必ず」予想をはずすことである意味人気を得ている。ポスト小泉の予想をさせて、この人が4番にした人が必ず次の総理になると予想できる。そういう人は、「よく当てるけどたまにハズす人」よりはるかに有用です。

業界と消費者がゼロ和ゲームの関係にあれば、どちらか一方の言い分を聞くことで、双方の主張が理解できます。昔の社会党は、何でも反対でしたが、何に反対すべきか、何が論点であるかについては、自民党が考えてくれた。もちろん、消費者の代弁をする人は必要で社会党が「何でも反対」することには重要な意義がありました。ただし、どちらも、物事を自分で一から調査して新しい論点を探す必要はありませんでした。シンクタンク的な要素は自民党と業界にまかせて、社会党と消費者はそこから出てきた論点に反対の意思表示をして、綱引きをすれば、それが多くの人の利益になっていたわけです。「逆神」に頼る2ちゃんねらと同じく、敵対する立場の中に有用な情報源を持っていたのです。

今の野党や消費者団体が果たすべき役割は、そういう簡単なものではなくて、暴れる通り魔を取りおさえるような困難がつきまといます。相手が正気で自分の身をかばいつつ武器を使うなら、相手の行動には制約があって、予想できる所がたくさんあります。しかし、状況が見えてなくて無闇に刃物を振り回す人間は、格闘技の達人にも読めない動きをするので大変なのです。

もちろん、官僚を通り魔呼ばわりすることは言い過ぎで滅茶苦茶な誇張です。しかし、世の中の複雑さに対して情報が不足しているという点では、この図式には意味があると思います。業界団体と消費者団体は、まず論点を作る為に協力し、論点ができた所ではじめて対立関係に別れる、そういう関係になるべきだと思います。どちらにも充分な情報が無いことを常に意識すべきです。

別の言い方をすれば、論点に対して立場が過剰供給になっている。自動的に必要なだけ適正な論点が供給された時代と、論点の不足が国民全体の問題になっている時代とは、発想を根本から変えないといけないのだと思います。