「巨大な無理解」

それで、生で梅田さんのお話を聞いて一番印象に残ったことは「梅田さんはみんなが思うほど、WEB2.0集団知に楽観的な人ではなかった」ということ。

みんなってあんたと誰?ってツッコミがほしくて、あえて「みんな」という言葉を使ってみたけど、私は梅田さんが単に楽観しているとは最初から思ってなかったし、楽観の裏に何かがあるとは思ったが、それは悲観という言葉にはあてはまらないと感じていた。

その「楽観でない何か」は表現されてない体験の裏付けではないかと漠然と想像していたけど、それが確信に変わった。

具体的には、「ネットメディアは既存メディアを蹴散らすか?」というテーマに対しての回答。梅田さんは「ネットメディアは発展するけど、既存メディアはしぶとく残る」という考えのようだ。その既存メディアが残る理由は、それを支えている、既存メディア的な受動性を持つユーザの、生活習慣、思考習慣はそんなに簡単に変わるものではないということ。

それから、「変化をうまく説明するモデルがある時に、そのモデルからの予測を上回るすごいスピード変化する部分と、そのモデルのようには変化しない部分が必ずある」というお話。

そして、その実例として「日本のエスタブリッシュメントに『WEB時代の大変化』を説明してもなかなか理解してもらえない」という話が、本の中に何度も出てくる。私はたぶん、梅田さんがコンサルティングで苦労されたトップのいる大企業の末端で仕事していたのだけど、この「理解してもらえなさ」というその微妙なニュアンスに非常に共感した。そしてのこのニュアンスの部分は、他のパネラーの人や会場にいた多くのブロガーに伝わってなかったように思えた。

それを自分の体験に引き寄せて説明してみたいのだけど、これは、「単に特定の頭の固い人を説得できない」という問題ではない。本当にお互いにせっぱつまっていれば、多くの場合、説得はできる。ただし、それは、最初にこちらの説明と相手の理解の間にあった壁を突破できるということではない。壁を回避することはできる。それは説明する側の工夫と努力と熱意、聞く側の柔軟性や理解力次第で、うまく行く場合もあればどうしても駄目なこともある。しかし、仮に何かが伝わったとしても、壁を壊して伝えることはできない。できるのは、壁を回避して伝えることだ。

とても大事なことを伝えようとして、その間に立ちふさがる壁があって、それを回避することはできるけど、それを壊すことはできない。

何が伝わった後にふりかえると、頑丈で巨大な壁がそのままそこに非常な圧迫感を持って残っている。

非常に感覚的な言い方なのだけど、そういう種類の「巨大な無理解」とでも呼ぶべきものが世の中にあって、それとの遭遇体験の数において、私は梅田さんと共通のものを感じて、他の人はその「巨大な無理解」というものは、あまり見たことがないように感じた。

この「理解してもらえなさ」は具体的な困難と隣接しているけど、具体的な困難そのものではない。たぶん、コンサルティングのスキルとは、それを回避する方法であり、それを梅田さんは豊富に持っているのだと思う。だから、具体的に困ることはあまり無いのだろう。

具体的に困ることはないけど、自分がうまくすりぬけた「巨大な無理解」というものから目をそらすこともなくて、そこにこだわっている所が、梅田さんの面白い所だ。

「一般の人たちにアピールするために、私たちはどうしたらいいんだろう?」という質問に対して「言葉を尽くすことの重要性」を梅田さんは訴えていたが、「言葉を尽くすこと」によって、その「巨大な無理解」の手触りを知ることができるという意味ではないだろうか。

これは全く自分の勝手読みなのかもしれないが、私にはそういう種類の遭遇体験がたくさんあって、このように整理すると、少なくとも梅田さんの話の中で矛盾する部分を受け入れやすくなるとは思う。