集団知に参加するには意図が公開されなくてはならない
こちらは、インスパイアーされてやや暴走気味に思いついてから取り憑かれてしまい、今一番気になっているテーマだが、集団知の一番の制限事項は「公開したくない意図を持つ者は参加できない」ということだと思う。
集団知はこれからも発展して、5年後くらいの自分が今書いていることを見たら、「○○も○○も知らない奴に集団知を語って欲しくないね」と考えると思う。つまり、「これを知らなければモグリ」という程のイノベーションがこの領域でこれから起きて、さまざまな問題点が克服されていくと私は予想している。
しかし、どういう発展を遂げるにしても、最低の条件として参加者の意図は公開されなくてはならない。意図が無い情報は単なるデータベースでWeb1.0的だ。予想もつかない順列組合せは起こり得ない。意図を公開しシェアし組み合わせることは、Web2.0の重要なキーポイントだと私は思う。意図を公開できな者はこれに参加することができなくて排除される。
「意図を公開できない者」とは、まず、表面化してない多種多様の犯罪集団であり、これと集団知システムとの葛藤は激しくなるだろう。これがどう決着するか予想するは難しいが、この問題は単純に善対悪の問題である。
そうではなくて、犯罪とは無縁の人の中にも「公開されたくない意図」はたくさんある。「公開され得ない意図」もたくさんある。
Web2.0は、自分が膨張することで、知らず知らずのうちに「公開され得ない意図」を排除してしまうだろう。そして、犯罪集団がその「公開され得ない意図」を巧みに収容して、Web2.0との戦いに利用するだろう。
もちろん、両者は並立していくのだが、政治の領域では、全員が、ひとつの政府、ひとつの法体系を共有しなくてはいけない。そして、この「公開され得ない意図を収容できない」という問題は、その領域において起こりやすい。
なお、私の思考体系は演繹的で、「公開され得ない意図」とは何なのか具体的にわからないまま、先にここに書いたようなモデルを構築してしまう。それから、それが何なのか考えて、あてはまるものが無ければそのまま忘れてしまうのだ。