「ウェブ進化論」書評

ここに「避難所生活」として書いたエントリー全てが、この本を読んで考えたことであり、広義の書評であるとも言えるが、最後に一般的な書評を書いてみたいと思う。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)
ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

この本には、著者もあとがきで述べているように、シリコンバレー特有の気質である「オプティミズム(楽天主義)」が通底している。この楽観論を二種類に分けて読むことで、この本の意味が明確になると私は考える。

つまり、「本当の大変化」と著者が呼ぶひとつの革命について、「今は兆ししか見えないが、そういう革命が確かに起きている。確たる証拠は無いが勢いを買おう」という意味の楽観論と、「この革命は誰にとっても素晴しいものである。ネットによってみんながもっと幸せになれるだろう」という意味の楽観論が、この本の中にはある。前者は、形式的に言えば「認識論的楽観論」であり、それに対する反論の形で表せば「そんなことが起きているとは思えない」となる。後者は、「価値論的楽観論」であり、反論は「そんなことが起きては困る」となる。この二種類の楽観論に対して、それぞれ、自分のスタンスを明確にしながら読むことで、この本は、幅広い読者層にとって重要な意味を持つ本となるだろう。

特に、この本で解説されているインターネット上の最新の動きにうとい読者には、「認識論的楽観論」に対して少なくとも態度を留保した上で、「価値論的楽観論」を考える為の材料とすることを望みたい。この二つの楽観論は独立したもので、前者を受けいれることは後者に同意することを意味しない。むしろ、「何が起こっているか」についてクリアに理解することが、そのことを批判する為の第一歩である。

「認識論的楽観論」に対する典型的な批判としては、「狭いネットの中では確かに何か特殊なことを起きているだろう。だが、それは我々一般の人間とは関係の無いものである」という反応だろう。しかし、ネットで起きている「大変化」とは、まずビジネスの世界での力学の変化である。特に「ロングテール」というインターネットが可能にした事業の形態は、「何をどのように売れば儲かるのか」という、ビジネスの一番泥臭い部分に革命をもたらす。その革命が何故可能となり何をもたらすのか、そういうインターネットと経済の接点が、著者の専門分野であり、包括的でありながら具体的な記述は、類書にない明解さがある。

だから、私はこの部分については、最良の教師を得た生徒の態度で、虚心に著者の説明に耳を傾けることをおすすめする。

一方、「価値論的認識論」については、むしろ私は、批判的な観点から読んでいただきたいと思う。私の立場は、「認識論」としてはこの「楽観論」に同意するが、「価値論」としては、疑問を持つものである。つまり、たくさんの人を巻きこむ「大変化」が起きていることは間違いないと考えるが、今の延長でそれが誰にとっても良いものになるとは思えないのである。

インターネットを批判する言説は多く目にするが、私の分類で言えば「価値論」の段階に至る前に「認識論」の時点で現に起きている現象の存在を否定するようなものがほとんである。つまり、ネットの中の匿名発言のもっとも悪い部分を拾いあげて、それをもってネット全体の意味を否定するような主張だ。この本にも解説されているように、ネットの中では、玉石混淆の中から玉を拾いあげる技術が急速に進化している。「石」を批判することでネットを否定するような言説は、この技術の進歩によって無意味になってしまう。

「玉を拾いあげる技術」の存在が否定されているうちは、その価値を論じることはできない。「玉を拾いあげる技術」は確かに存在し進化し続けているが、それはどのように進化しようとも「技術」であり、経済行為として管理されている。「玉を拾いあげる技術」の存在を認める人間は、職業的にも心情的にもネットにコミットした人間であり、そういう立場の者だけの評価でこの「大変化」が進んでしまうことを、私は危惧している。この「大変化」は良質な批判者を欠いたまま、さらに加速しているのである。

実は、これは誤解されがちな点であるが、著者も「価値論的楽観論」の部分では、全面的にシリコンバレー的発想を礼賛しているわけではない。それが典型的に現れているのが、この本の原点とも言える著者のブログの中にある、次の文章である。(CNET Japan Blog - 梅田望夫・英語で読むITトレンド:GoogleのIPO申請、そのやり方に異議ありから一部抜粋)

問題の本質は、公開後のコーポレートガバナンスにある。2人の創業者が、一般の普通株に比べて強い議決権を持つ別種の普通株保有し続ける構造を Googleは提案しているが、これは許容すべきではない。そして、もっといえば、その背後にあるGoogleの唯我独尊的経営思想に危険を感じ、深く懸念する。

たしかに、Googleは「非公開企業の良さ」を活かして、ここまで成長してきた。非公開企業には、一般への情報開示義務はないから、Googleはこれまで秘密主義を貫くことができた。だからこそ勝ってくることができたという思いはあろう。「俺たちは大変な才能を持った集団なのだ、だから短期的な視点にこだわらずに、長期的な視点で俺たちに任せてくれ、悪いようにはしない」と、これまでの実績をもとに、創業者たちが強く言いたい気持ちもよくわかる。

でも、世の中というのは何が起こるかわからない。逆風が吹いたとき、こういう才能至上主義的発想に基づく唯我独尊経営は、暴走する危険を孕んでいる。非公開企業ならば、暴走した結果クラッシュしたって、その影響は「リスク承知で関わった身内」だけに限定されるからいい。しかし公開企業はそうはいかない。だから「経営の透明性」が、歴史の中でのさまざまな経験を踏まえて、コーポレートガバナンスのルールという形で組み込まれている。そのルールを軽視してはいけないのである。

Googleの唯我独尊的経営思想をチェックする機能を、どうしても「株式公開」時に、コーポレートガバナンスの形で、構造的に組み込まなければならない。再度、結論を言う。僕は、この株式公開申請のままGoogleIPOすることに、反対の意を表明する。

著者は、グーグルに代表されるネット列強の公益性を最大の賛辞で評価している。特に「ロングテール」や「総表現社会化」によって、これまでの社会における「持たざる者」が、社会に参加し貢献することを容易にすることに積極的な意味を見いだしている。また、そこで発生する新しい競争社会が、今までよりずっと公平なものであり、社会と個人双方にとって有益なものになると予想している。しかし、だからこそ、その胴元である企業の運営には、より厳格な透明性が必要であるとも考えている。

私は、もっと根本的な疑問を持っている。このようなシステムには社会全体が依存しているのだから、それが一般的な私企業という形でガバナンスされること自体に疑問がある。そのシステム自体に社会の成員全体が合意するなんらかの新しい手続きが必要だと考えている。しかし、「価値論的楽観論」には一定の懸念を持つという意味では、著者に同意する。また、この論点がなかなか理解されないことに、非常に危機感を抱いている。

だから、「認識論的楽観論」の部分では著者に学びつつ、「価値論的楽観論」については、著者と対話しつつ自分で考えながら読むことを、この本の読者に望みたい。