「経営の未来」に従業員の未来を見る

経営の未来
経営の未来

これ、すごく良い本なのだけど、致命的にタイトルがヌルイ。この本を読むべき人に届けようという意思が全く見られないタイトルだ。

私だったら、次のどちらかのタイトルをつける。

  • もはや「部長」「課長」には未来が無い!
  • 従業員の未来

原題は "The future of management" なので、それを素直に直訳しただけなんだけど、「経営の未来」というタイトルでは「経営」というものが何となく嫌いな人と、「経営」なんてものに未来があるんだろうか、と思っている人が、食わず嫌いをしてしまうじゃないか。

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それより何より、自分は良き「従業員」になろうと思っている人がまず読むべきだと思う。


実をいうと、「エンプロイー(従業員)」という概念は近代になって生み出されたもので、時代を超越した社会慣行ではない。強い意思を持つ人間を従順な従業員に変えるために、二十世紀初頭にどれほど大規模な努力がなされ、それがどれほど成功したかを見ると、マルクス主義者でなくてもぞっとさせられる。近代工業化社会の職場が求めるものを満たすために、人間の習慣や価値観を徹底的につくり変える必要があった。

  • 生産物ではなくて時間を売ること
  • 仕事のペースを時計に合わせること
  • 厳密に定められた間隔で食事をし、睡眠をとること
  • 同じ単純作業を一日中再現なく繰り返すこと


これらのどれ一つとして人間の自然な本能ではなかった(もちろん、今でもそうではない)。したがって「従業員」という概念が--また、近代経営管理の教義の他のどの概念であれ--永遠の真実という揺るぎないものに根ざしていると思いこむのは危険である。(P163)

つまり、マネージメント=管理職という概念と、従業員という概念は、20世紀初頭にペアで人為的に作り出されたもので、たまたま、その当時の技術的、社会的な状況にマッチしていたから広まっただけのことだ。

明示的に「従業員」について書いているのはここだけなんだけど、「管理職」の未来について語ることで、影絵のように「従業員の未来」についても暗黙にこの本は語っている。

普通の言い方で言えば、どちらにも未来は無いということだと思う。

著者が語る" The future of management "には、非常に説得力があるけど、それは普通の人が普通に「経営」とか「管理職」という言葉でイメージするものとはかけ離れている。

それは、「いかに自分を改造することを継続するか」というノウハウである。


通常このような会議では、彼(引用者注:グーグルにCEOとして招かれた直後のエリック・シュミット)は、出席者の相対的な地位をすぐに見定めることができた。しかしグーグルでは、皆が好き勝手に発言し、遠慮というものが皆無に近かったので、出席者の地位を類推する手がかりはほとんどなかった。(中略)この経験について考えるなかで、彼はCEOとして成功するためには、自分の経営管理スタイルをグーグルのスタイルに合わせなければならないということを、決してその逆を求めてはならないということを理解した。(中略)CEOもまた、他のすべての人間と同じく、グーグルの戦略を絶えずつくり直している自由な会話に価値を加えることで「発言権」を獲得しなければならないのだった。


一般的な企業モデルでは、CEOにはトップダウンで戦略を推進することが期待されているが、グーグルでは違う。シュミットは自分の決定を宣言することより人びとの議論を刺激することを重視している。実際には、それは全社的な茶話会のホストの役目を果たすということだ。「延々と続くさまざまな会話の集りとして会社を運営すれば、多くの人を参加させることができ、参加は実行を推進してくれる」(P138)

この本には、「経営の未来」を示す事例として、グーグルに加え、ホールフーズというスーパーマーケットチェーンと、W・L・ゴアというメーカー、それから(ちょっと扱いは小さいが)セムラーという4つの優良企業が取りあげられている。

グーグルの事例については、次のエントリで紹介した岡田正大氏の研究とほぼ同じ観点に立っている。

要するに、役職と所属を無くして、ブログとWiki掲示板で会社を経営するのだ。 最終的にものごとを決定する権限を持つ人は残るけど、その人の仕事は、ブログとWiki掲示板からまとめサイトを作る人と同じようなものになる。

つまり、グーグルの独自性は技術ではなくマネージメントにある、ということだ。

創業者二人はもちろん技術を重視している。技術的な独創性と比較優位は重要だ。だがそれは十分条件ではなく必要条件、入口にすぎない。ネットの中での競争では、技術に加えてプラスアルファが必要だ。

グーグルは、最初にプラスアルファとして「幸運」があったと、彼らは認識している。優秀で情熱がある人間がたくさんいる中で彼らが成功したのは「幸運」にすぎない。「幸運」の効き目が残っているうちに、別のプラスアルファを用意しなくてはならない。そのプラスアルファが、企業文化、マネージメントスタイルの優位であり、エリック・シュミットなのだ。

そういう「切り札」として招聘されるシュミットの凄みは何かと言えば、上記の引用部分に表れている「自己改造」の能力だと思う。

シュミットは、自分が経営者として長年培ってきた自慢の特殊能力が通用しないことによって、一瞬で「グーグルとは何か」を理解した。そして自分の役割を認識した。

天才、達人の技である。

そして、この本の面白い所は、この天才の技を並の管理職者が身につける為の体系的なノウハウに落としこんでいく後半だ。

確かにシュミットは「自己改造」の天才である。一瞬でポイントを察知する天才的能力は真似できない。しかし「自己改造」そのものは真似できる。それが著者の主張であり、そこに「経営の未来」があると著者のゲイリー・ハミルは言っているのだ。

その方法は、ひとことで言えば「WEBに学べ」である。

あなたの会社には、ビデオブロガーやミキサーやハッカー、マッシュアッパーやチューナーやポッドキャスターが、間違いなくうようよしている。自分の創造の情熱を追求するにあたって、彼らは無限に近いツールや資源を利用することができる。(中略)誓ってもいいが、あなたの会社の社員は必ずどこかで自分の創造力を発揮している。ただ、その場所が職場ではないかもしれないというだけだ。(P250)

何千年もの間、人間の活動を結集させる手段は市場と階層構造しかなかったが、今では第三の選択肢がある。リアルタイムの分散型ネットワークである。インターネットが階層構造によって生み出されたものでもなければ、階層構造によって管理運営されているものでもないことは象徴的だ。また、オンライン上でどんどん生まれている何千ものの新しい組織形態のなかには、階層構造はあまり見受けられない。たとえば、オープンソース・コミュニティの特徴を、エリック・レイモンドは次のように記している。「(それは)進化しているクリエイティブな無秩序であり、そこには何千人ものリーダーと何万人もの追随者がいて、網の目のようにつながる仲間の評価によって結びつけられ、現実のテストにどんどんさらされているのである」(P325)

ただ、「WEBに学べ」だけでは突き放しているようなものだ。この本には単なる直感的な一言だけでなく、かなり具体的で体系的なその為の方法論やレシピ集が含まれている。そこはぜひ本文で読んでいただきたい。

これから管理職になりたい人、管理職であり続けたい人は、これを暗記するまで読んで実践すればよい。そういう人にとっては、実に親切で懇切丁寧な本だと思う。

問題は、そうでない人にとって、この本にどういう意味があるかということだ。

「従業員」を目指す人にとっても、同じように重要であり必読の本である。それは間違いない。ただ、そういう人にとっては、あまり懇切丁寧とは言えない。

「管理職がこのような自己改造の圧力にさらされている時、従業員はそのままでいいのだろうか」ということは、各人が自分で一から考える必要がある。

管理職者にとってのシュミットのような、「未来の従業員」のロールモデルを探すのには苦労はしないだろう。ただ、天才を凡人が真似る為の体系的な方法論のことを考えると、「経営の未来」というテキストがある管理職者の方が恵まれている。そこの部分を「未来の従業員」はまだ探し続けなくてはならないのだろう。

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