グーグルは世界最大の有限会社である

はっきり言おう。Googleから見れば、YouTubeは広告収益をビタ一文上げなくても構わない。

TVCMを破壊してくれるだけでおつりが来るのだ。

TVCMがなくなったら広告主は広告を取りやめるか?やめるわけがない。広告はモノ売る人々にとってはエデンの園の禁断の実のようなものだ。すでに口にしてしまった以上、楽園には返れない。

TVCMが破壊されたらそこに渡っていた莫大な広告収益はどこに行くか。有力な投資先が破綻した時の資金のごとく、広告はその出稿場所を追い求めるに違いない。そしてその行き着く先がどこなのかはいわずもがなだ。

YouTubeが訴訟で負けてもかまわない。訴訟というのは合州国においてさえ時間のかかるプロセスだ。YouTubeだってただで負ける訳がない。粘りに粘るだろう。その間にもTVはどんどん侵蝕される。そもそもYouTubeがなくたってすでにDVRがある。すでにTVも広告を確実に見せる手段ではなくなっているのだ。 YouTubeの首に苦労してひもをかけた頃には、自分たちも出血多量で死ぬというわけだ。

それをTV側も感じ取っているからこそ、提携の動きが出ているのではないか。YouTubeを締め上げても共倒れになることを彼らも知っているのだ。

これは、ガツンとやられた感じ。

私としては、まったくその通りだと言うしかなくて何もつけ加えることはないけど、「弾さんは訴訟のリスクを軽く見ている」という反論もあるだろうから、それについてちょっとだけ考察してみる。

素人の遊びだから映像・音楽の著作権が免責されるわけではなく、ネット上に流すならそれなりの著作権の許可が必要になる。例えば、都内の公園ではほとんどが無許可の撮影を禁じているし、撮られたくない人を偶然撮ってしまうこともある、路上の撮影も警察の許可が必要だ。もっといえば、フォントにも著作権がある。※PCにデフォルトで入っているものは大丈夫らしいが。

もっとやばいのは、外国の国立公園や文化遺産、歴史遺産などの撮影だ。この辺りは、YOUTUBE経由で全世界に流すとかなりやばいことも起きうる。素人が2chでやらかしているようなトラブルも含めて、グーグルはメンテナンスができるのかな?※僕はいくつかNHK著作権処理の仕事をした経験があるから分かるが、結構、たいへんだよ。。

放送局などからの抗議ではなく、こういう一般人が引き起こす問題は未知数の部分が多い。時価総額10兆円をこすグーグルになら訴訟を起こせると思う人はたくさんいるだろう。ほんとに著作権問題というのは厄介なのだ。

レッシングさんの本で似たような話を読んだことがある。でも、それを YouTubeと関連づけて考えたことは無かった。

ホームビデオの投稿に「これこれが映ってた」と言って金を取れるなら、これは相当にオイシイ話になるだろう。

訴訟に負けたら、懲罰的な賠償金を支払うことになる可能性がありますよね。懲罰的賠償金というのは、その企業が「痛い」と感じる額が設定されるそうなので、イージス艦一隻どころではなくなるのでは?

裁判で「懲罰的賠償金」という判決が出たら、グーグルがいくら金を持っていても、その持っている金に対して「痛い」と感じるような金額になるから、無視できるような金にはならないという話。持ってれば持ってるだけ絞り取られるということ。

確かに、こういうリスクをいくつもかかえてしまったのでは、グーグルはもたないのかもしれない。

でもたぶん、創業者二人にこの話をしたら、「そうだね、グーグルはつぶれるかもしれないけど、それが何か?」と言うだろう。最悪のことが起きても、彼らは借金を背負うわけではなくて、無一文になるだけだ。

無一文になったら野垂れ死ぬしかないかと言えば、もちろん、そんなことはなくて、たとえ経営者として無能で危険な奴だと烙印を押されても、プログラマーとして充分仕事があるだろう。無かったら、私が「いいプログラマーがいますよ、個人的に知ってるわけじゃないけど、実力は私が保証します」と社長にかけあって、ウチの会社に来てもらうようにはからいますけど(笑)。

これだけの大戦争で世界を掻き回して歴史に名を残すチャンスが目の前にあって、賭け金は、評価金額は凄いけど実際には使いようもない名目だけの株券だったら、普通、やるでしょう。

どれだけのリスクがあっても、創業者二人は、会社を賭け金にして、TVCMをつぶして自社の利益を取るという賭けに出るだろうし、大半の社員もそれを支持するだろう。そういう面白いことをするために入社したのだから。

これは、不当なことだと思う人がいるかもしれない。そのような世界全体に影響を及ぼす重大な決定を、一私企業の数人の経営者が行なっていいものだろうか。

確かに社会的責任と個人としての責任があまりにも乖離していてアンバランスだ。

株式会社という制度は、株主が会社の存続を願うことを前提にして、責任と権限を分散して有限の責任と有限の決定権のバランスを取る制度だ。株式会社は、たくさんの株主と経営者が牽制しあって過剰なリスクに突入しないようになっている。制度がそうなっている意図は、株式会社を部分的には公器としての性質があるとみなして、社会的なコントロールを行なう為である(と思う)。

グーグルは、そういう意味では公器ではない。有限会社と同じように、社長の持ち物として好き勝手にコントロールできる。権限は無限だけど、無茶やってつぶれた時の責任は有限なのだ。出資金がパーになることさえ受け入れれば、何をやってもいいのだ。

個人商店レベルのガバナンスによって、巨大な組織が動いているということが、この問題の根本である(「問題」であるとして)。

そして、「ウェブ進化論」書評に書いたように、このことを梅田望夫さんはかなり早くから指摘していたことを強調しておきたい。

私も、個別の問題としては、グーグルの今回の選択は、グーグル自身にとっても世界にとっても良い決断だと思っている。でも、その正しさは制度的な保証があって、必然的に導かれたものではなくて、たまたま経営者が正しい判断をしたというただの偶然である。たまたま正しいGoogleがそこにあればそれでいいのか?という疑問は消えない。