「いっぱいに満たされた器の水をこぼさないように運ぶような作業」と村主章枝のコーチ語る
なんとも臨場感のあるうまいコメントです。
9月上旬からの右股関節脱臼故障は、この気質が災いした。村主は、佐藤信夫コーチからの「休むことも考えなさい」という助言を聞き入れず、急ピッチでプログラムの仕上げに入ったための故障。一時期は、歩くこともままならないほどの症状だった。
リンクに復帰してからも、村主とコーチのせめぎ合いは続いた。「休め」「休まない」といった話ばかりでなく、技術面についても意見が食い違った。村主はジャンプの調子が狂い始めると、助言も耳に入らず、ひたすら繰り返し、一層、調子を狂わせることもある。長野五輪からの付き合いになるコーチは、「彼女を上向かせるのはいっぱいに満たされた器の水をこぼさないように運ぶような作業」と例えた。(読売新聞12月26日スポーツ面より)
「休ませない」→「体が壊れる」、「休ませる」→「(練習不足への不安から)心が壊れる」ということで、ちょうどよいペースの枠が針の穴のように狭いということでしょうか。もちろん、過敏過ぎたり馬力だけで空ぶかしの練習をするような選手では、こういう問題が起きるレベルにもならないわけで、実質のあるギリギリ感が村主選手のスタイルであり、それを理解し、いったん受け入れた上で悩むコーチだからこそ出たコメントなのでしょう。
でも、本当にコーチが頭を使っている様子がうかがえます。おそらく休ませる場合には、それをどう挽回するのか説得力あるストーリーを与えた上で休ませなくてはならなくて、そのストーリーは、選手に話すものの他にコーチの頭の中には何とおりもの裏の読み筋、シミュレーションがあって、性格面も含めた緻密な計算と、選手の顔色を見た瞬間の適切な判断がないと運用できない微妙なものなのでしょう。もちろん、相手も馬鹿ではないから、嘘やいいかげんなストーリーでは通じません。
このコメントを読んだ瞬間、「このコーチは、自分が今年一番難しいロジックを書いた時と同じくらい、毎日頭を使ってるんだろうな」と想像(妄想)してしまいました。頭を使っていて、しかも感性が開いている人でないと言えない言葉のように思います。