「2ちゃんねら」という「ふつうの人」

ゾミ夫(うさちゃんピースを見て飛んでくるUFOが夕日に照らされている): 世界は「不愉快」を望んでる


私の結論としては、ふつうの人というのは全員マゾヒストであり、昔の軍隊の鬼軍曹みたいな陰険さを持ち合わせていて、みんなで「イヤ〜な話」を持ち寄ってはニタニタしている、というイメージだ。

確かに、テレビにはそういう側面がある。でもこの文の主語は、「テレビ視聴者」でなく「ふつうの人」だ。

2ちゃんねるに対してモノを言う時は、たいていこの類の文の主語は「ふつうの人」でなく「2ちゃんねら」だ。


ぜんぜん関係ないが、「こたえて……」の菊間アナがあんなことになってしまったのは、番組内のさまざまな「イヤなこと」の怨念の集積がさせたことではないかと、急にオカルトチックなことを書いてみる。

菊間アナの件がそうなのかはわからないが、「イヤなことの怨念の集積」というのも確かにあって、それがどこにどう作用しているか心配になる。

この人は、テレビのことを語っているように見えて、テレビを通して「ふつうの人」や「イヤなことの怨念」について、とても大事なことを言っていると思う。「ふつうの人」は不愉快が好きで、それがメディアを動かす力になることもある。

ARTIFACT@ハテナ系 - 2ちゃんねるでのパクリやパロディにオリジナルへのリスペクトはあるか?の中で、id:kanoseさんも、2ちゃんねるを語っているように見えて、2ちゃんねるを通して、すごく大事なことを言っていると思う。「対称性」というのは、大事な原理である。

テレビも2ちゃんねるも、総体として論じるのは意味がないが、そこを通して論じられることには、だいじなことがたくさんある。

そこで、テレビ視聴者や2ちゃんねらをどのように分類して、どのようにラベリングしていくかということには、それを書く人の知性や姿勢が現れてくる。だから、僕がこれらの文章の中に見るものは、nittagoroさんやkanoseさんの知性であって、これを読んでテレビや2ちゃんねるについて何かを学ぶことはほとんどない。

メディアというのは、動きだしてしまえばそういうもんだと思う。

そう言えば、テレビっ子ってもはや死語ですよね。