2ちゃんねるの敗因

イラク日本人拘束事件に関するスレッドを継続的に見ていて、今回ばかりは「2ちゃんねる敗れたり!」という感じがした。これまでの、言わゆる祭りスレッドが全て事件の真相に迫っていたというわけではないが、少なくとも重要な論点をあぶり出すことはできていたと思う。

それと比較して、今回の事件では何と言うか「烏合の衆」という感じで、右往左往したまま終わったような気がする。まだ全ての真相が判ったわけではないし、出された疑問点の中には重要で今後解明されるべきものもあると私は考えているけど、もしこの事件に裏があるとしても、一番重要なポイントが出てきてないような気がする。

私としては、「たくさんの目玉が見逃すものはない」と思い、それなりの見方を心得ていれば信頼に値するメディアと全面的に評価していたので、正直言ってショックを感じている。もちろんこれは全く主観的な見方で、この事件について逆の評価をする人もいるかもしれないが、自分としては、これほど腑に落ちることがない「祭り」は初めてである。

そこで、なぜこうなったかを考えてみたのだが、思いつく要因としては次の二つだ。

  • 一次情報の不足
  • 多様性の不足

まず、この事件の特異性は、とにかくマスコミの情報が少なく、取材ソースが限られていて、多角的な検証ができなかったこと。日本語メディアだけでなくて、海外のメディアからの情報が直接的なものと関連する状況全体に関するニュースとともに、少なかった。

現在、どこの国のどんな事件についても関連情報を含めるとネットには処理しきれない量の情報がある。個人に処理できないだけでなくて組織でも手におえない。量の問題なら組織的に対応できるが、信頼度や観点も含め、多様性が爆発していていかなる組織にも処理できない。そこに穴があって、それを2ちゃんねるが補完していたのである。その状況が今回の事件では根本的に違っていた。

それと事件に対する観点が非常に画一的に偏っていた印象を受ける。特に印象的なのが、週刊新潮2ちゃんねるに迎合したような記事を出したのに対して、斜に構えてこれを批判する姿勢がなかったこと。2ちゃんねる世論は一般的に言われているよりは幅広い。偏りが全く無いわけではないが、偏りが出る場合はマスコミの偏りに対する反発として、それと逆のポジションを取るかたちで発生することが多い。だから、新潮の記事に対して、もっと懐疑的な観点が出るのが通常の2ちゃんねるのパターンだ。そういう、2ちゃんねるの自然発生的な検証機能が今回に限り、それうまく動いていないような気がした。

「自作自演」説とその否定の議論はかなりあったが、問題を360度からつつくというより、ある一方向とその反対の二箇所だけから見ているという感触を受けた。二者の対立に横槍が入って脱線して、それがどんどん新しい観点を産んでまたもとの論点に戻って一段深い議論をする、そういう2ちゃんねる独特のダイナミズムを感じなかった。

これがなぜなのかはもう少し考えてみたい。とにかく、当然なのかもしれないが、2ちゃんねるを盲信してはいけないと思いました。