ミルヒョー戦レベルの大衆と力道山レベルの知識人

http://ex9.2ch.net/test/read.cgi/k1/1125444249/84

 今は格闘技より選挙のほうが大切
どうせ低脳なおまいらは小泉支持だろ

上記の名スレにこんなこと書いている人がいるわけですが、大衆娯楽としての格闘技が、いかに進歩しているか考えてほしいものです。

力道山当時のプロレスと今回のミルヒョー戦(ミルコVSヒョードル)に代表される、現在の格闘技のレベルの違い。

小柄な日本人が我慢に我慢を重ねて、最後に精神力で一発逆転してアメリカ人をボコボコにするという一本調子のドラマと、超一流のアスリート同士が技を極めてのぞむ、何が起こるかわからないガチンコ勝負の違い。

もちろん、力道山も偉いと思います。大衆に娯楽と熱狂を与えたことが、当時の人をどれだけ勇気づけたか。メディアの進歩もありますから、単純に両者を比較するのはフェアではありません。

しかし、当時と今では、「大衆」というものが全く変化していることを、両者の違いが物語っています。力道山もプライドも、「大衆」の意識を引きつけて楽しませたという意味では、同等に偉い。だから、興業の進歩の中に、「大衆」の進歩を見ることが可能なのです。

だからと言って、「大衆」がいつも正しいとは言えないのですが、この変化を否認していたのでは、何を言っても的外れになります。

知識人が大衆を導くものであるならば、力道山の時代の思考から脱却しなくてはなりません。むしろ、ミルヒョー戦のレベルに進化した大衆の声に、知識人の方が耳を傾けるべきでしょう。

大衆が、つまらん扇動に躍らされると安易に思う人は、力道山のプロレスが今でも通用すると思う人くらい、馬鹿で時代遅れ。大衆は単純な八百長には見向きもれません。大衆はきちんとディテールを見るしディテールを楽しむ。技を見て技を楽しむ。人間を見て人間を楽しむ。対価は払うわけですが、騙されて払うのではなく納得して払うのです。