クルーグマンの未来予測

ホワイトカラー真っ青という10年前に書かれた文章で、クルーグマンが、「知のコモディティ化」「知の高速道路」という現象を予測していたというコメントがありました。


いちばんだいじないことは、「情報経済」の旗振り役たちは経済学の基礎を忘れてしまったらしいということ。なにかが豊富になったら、それは同時に安くなる。情報まみれの世界は、まさに情報そのものが非常にわずかな市場価値しかもたない世界なんだ。そして一般的にいって、ある経済がなにかを非常に上手に処理できるようになったら、その活動の重要性は上がるのではなく、下がる。20 世紀末のアメリカは、食料生産をものすごく高効率でこなせた。だからこそ、農民はほとんどいなかったんだ。21 世紀末のアメリカは、定型情報処理をものすごく高効率でこなせる。だからこそ、伝統的なホワイトカラー労働者はほとんど消滅してしまったんだ(引用者注:この文章は100年後から21世紀を振り返って書いたという想定)。

「伝統的なホワイトカラー労働者」の危機を予測したという点では、近いものがありますが、「定型情報処理をものすごく高効率で」という表現が微妙ですね。

これは、はてな武隈Googleのような、人間のアクション(判断)をたくさん集積することで発生する価値までは、想像されてないという感じがします。その価値によって置き換えられる労働者は「伝統的なホワイトカラー労働者」より範囲が広いのではないでしょうか。

そこがおしい所ですが、恣意的な予想がまぐれあたりしたのではなく、特定の意図による誘導なしに素直に理論やモデルを適用して導き出した結論が、後に現実に(ほぼ)あてはまったということは重要だと思います。(人でなくモデルが予測したという意味では小室直樹のソ連崩壊の予測も同じ)

それと、no-nameさんが


今回の梅田さんのエントリに関連して、これを思い出す人も残念ながらいないようです

とおっしゃっているのは、あなたが参加する限り、ネットはあなたの上を行くの典型例ですね。

no-nameさんがここにこのコメントを書かれなかったら、確かに今回のこの議論は重要なポイントをはずしたまま収束してしまうのだけど、no-nameさんがコメントし私がそれを取り上げたことで、この文章は、より多くの人に読まれて(思い出されて)、さらなる議論を呼ぶでしょう。

次にこの話題が繰り返される時には、「なにかが豊富になったら、それは同時に安くなる」という経済学的観点が、議論のスタートポイントに含まれていると思います。