現物主義による現物主義メソッドの進化

プログラマー日記さんが「現物主義」というメソッドを「現物」として提示されたことで、議論が進んでいるわけで、このような議論は「現物」がないと不可能でしょう。


書き手が意図したものと実際に書かれたものとが一致しない

というid:suikyojinさんの指摘や、(プロトタイプを捨てない)プロトタイピングやTDDとの比較は興味深いです。

また、spiegelさんの異論には考えさせられました。


客にとって想像の域を超えるものを想像可能なレベルまでブレイクダウンし,提示して見せるのが「プロ」の仕事である。つまり「現物主義」として書かれていることはエンジニアにとって(少なくとも職業エンジニアにおいては)本来の仕事なのである。

ただ、これは客が自分のドメインの中では自分の要求をきちんと説明できて、プロジェクトの成果に協力的である場合に言えることだと思います。

その点で、顧客のレベル(混乱の度合い?)のような尺度によって、「現物主義」の適用範囲が左右されるような気がします。(参考: 失敗しない情報システム調達 - 顧客の視点で、アジャイルを説明)

例えば、一番極端なことを言えば、世の中には自滅的としか言えないような企業もあります。日経コンピュータで前にやってた(今もやってる?)「理不尽なコンピュータ」のような状況で何ができるかという問題設定もあり得るわけです。ケチで敵対的であっても自社のバリューというものを意識している顧客と、そうでない自滅的な顧客では、最適なメソッドも違ってくるでしょう。

結局、顧客のイメージを共有した上で議論しないと、議論が発散してしまうので、それを定義できるような方法論が欲しい所です(←というような「現物主義」でない提言はほぼ無意味なんですけどね(笑))。