「WEB進化論」的ネット経済とベーシックインカム

我ながらすごい組合せだけど、この二つの事例、「労働」と「自己実現」の関係において、対極的であり同時に共通性を持っている。


対極的であるのは、「自己実現」と「企業の価値」の関係だ。

「残業400時間」企業においては、自己実現(どころか健全な私生活)は、企業の価値を高めることと絶対に両立しないものとされている。それに対し、「はてな」においては、自己実現そのものが企業の価値と直結している。id:reikonさんに呼ばれて自分が開発したサービスの新機能をアピールする社員たちや、同好会的なノリで入る笑い声そのものが、無味乾燥なプレスリリースよりずっと効果的に、自社の市場における価値を表現している。その「表現」そのものが「はてな」の企業としての価値だ。これが無ければ「はてな」はアクセスを稼げず金を稼げない。

共通性は、企業の価値と個人としての価値観や生活の間に緊張関係が無いこと。

だから、ひねくれた見方をする人は、「はてな」のこういうノリを「宗教か自己啓発セミナーのようだ」とか言って、うさんくさいものとして見て嫌う。私は「はてな」自体は好ましく見るが、「はてな」的な別の会社がそうやって社員を洗脳して不当に働かせる可能性はあると考える。そういう意味では、「ひねくれ者」の言うこともわかる。

会社が縛るものは、個人の時間の一部と個人の体であって、個人の頭の中、私生活における価値観には企業は立ち入らないというのが、昔の常識であったが、今はそうではない。企業の側が個人の自発性に歩みよった結果ではあるけど、個人と企業が従来の常識とは違うレベルで一体化してないと、ネットにおける競争には勝てない。それを象徴しているのが次のニュースだ。

中堅のデノン(旧日本コロムビア)は3月下旬、同社初のiPod用スタンドを発売した。同社製コンポにつなぐと、リモコンでiPodを操作でき、iPodに入れてある音楽をコンポで楽しめる。昨年8月には、ホームシアターシステムにiPod用端子を装着した。「悔しいが、iPodの勢いに乗らざるを得ない」という。

ケンウッドが昨年3月、業界に先駆けてカーナビシステムにiPod用端子を付けた時も社内から異論が出たが、「iPodを車でも使いたいというニーズを優先させた」という。同社は当時、携帯音楽プレーヤーを発売したばかり。自社製品より先にiPodにカーナビを対応させるのは苦渋の選択だった。

メーカーの歯ぎしりが聞こえてきそうな記事だが、iPodが売れているのは、Appleがネットにおいて不動の地位を確保したからで、その「不動の地位」はジョブズとそのビジョンに同調した多くのApple社員の自己実現そのものである。

社員と企業が従来の常識から見て健全な距離感を持っている会社は、つぶれるか、こういうふうに振り回されることになるだろう。

だから、社会保障のような労働市場に関係する問題は、はてなAppleGoogleのような企業における「労働」を基準に考えるべきだと思う。これからの経済において、支配的な地位を占めるのは、そういう企業における「労働」なのだから。

私はベーシックインカムに興味を持っている素人なのだが、このエントリに記録されている論戦は、そういう観点から見ると非常に物足りない。

ベーシックインカムにおいて議論の焦点が実現可能性になるのは理解できるが、インセンティブと生産性の関係について、あまりにも立脚しているモデルが古いと思う。

  • 中産階級が経済の主流であり、中産階級の意欲がマクロ経済の中で最も重要
  • 労働は苦役であるので、経済的なインセンティブが無ければ、人はしっかり働かない
  • 苦役と給与のバランスについて労働者は主体的に自分の最適値を選択する(できる)
  • 労働の量と企業の価値と給与が連動するのがよい企業(社会)であり、労働者は規範的にそれを支持する

これを前提として、「実現可能性の有無」や「規範と実現可能性の関係」が議論されているように私には感じられる。

しかし、「労働400時間」型企業において、インセンティブは残業時間とは連動するかもしれないが、企業の創造する付加価値とは連動しない。滅私奉公型の労働では、経済の支配的地位につながるような価値は生むことができない。

また、「はてな」型企業において、金でインセンティブを与えることは難しい。面白い仕事があればよく働くし、そうでなければサボる。税引き後所得の上下は関係ない。

もちろん、この二つは極端な事例であり例外的な事例であるが、この二つの事例が体現する傾向を多くの企業が大なり小なりすでに持っていて、むしろマクロ的には、その要素が無視できないレベルになっているのではないだろうか。

もっと単純に言えば、森永卓郎氏が言うようにごく少数の勝ち組と多数の年収300万円階層という二極化が進む経済には、ベーシックインカムが適する。「WEB進化論」の描く世界もほぼ同じ帰結になると思うが、勝ち組は、ロングテールを構成する多数のオタクに依存している。だから、オタクがロングテールを構成する趣味に使う金を作る為に、高い負担を担うことにはそれほど抵抗は無いと思う。

IT勝ち組企業は、自分たちに帰属する付加価値創造のごく一部しか受けとっておらず、積極的にそれを変えようとはしていない。貧乏人が普通にネットから恩恵を受けているというこの現状は、「勝ち組はベーシックインカムをすでに容認している」と言ってもいいと私は思う。

そして、これは決して、利他的な行為ではない。直接的な付加価値の創造に関わらない所で、莫大な付加価値を生むアイディアが育ち、それを予測することが不可能であるという、正確な現状認識があれば当然そういう結論になる。

このことは、IT産業独特の特性と思う人も多いだろうが、ドラッガー等を我流に解釈すると、これは知識産業やイノベーションというものの特質であって、IT産業は単にそれが可視化されやすい、というだけのことではないかと私は考えている。

付加価値の創造プロセスを一般人が一般常識として理解して、それに添った倫理感と社会システムを持たないと、その国は経済大国にはなれない。コストの安いことだけが売りの製造基地にしかなれない。

そういう意味で、経済優先でモノを考える人は、ベーシックインカムのような考え方になると思う。負け組の人と経済より倫理を優先してモノを考える人は、簡単にはこれを受け入れないだろう。

これは極論であるとは思うけど、ベーシックインカムを巡る議論にこういう視点が無いことは疑問である。

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