price 本位制から link 本位制へ

ネットはtextによるコミュニケーションが実はほとんど成立していないことを明らかにした。

ここに出てくる文化圏のそれぞれに、独特の context (文脈)がある。contextを共有している範囲では楽に通じる言葉も、一歩外へ出るとびっくりするほど通じない。

text は context が共有されてないとうまく使えないコミュニケーションツールで、その有効範囲は限られている。ネットによる生の情報発信が容易になったことから、それが可視化されてきたのだ。

それで、これを補う汎用的なコミュニケーションツールとして、 price がある。

株式市場はコミュニケーションの場であり、そこでは経済全般の状況や個々の企業の状態、そして政治や天候など関連するさまざまなテーマについての議論が行なわれている。しかし、議論は text でなく price を通して行なわれるので、context の共有を必要としない。

textでは話が通じない、違う文化圏で生きている人同士が、price によって容易にコミュニケーションをとって、効率的に経済を動かしている。

いわゆる「市場」というものだけではなく、我々の日々の消費行動はほとんど、price によるコミュニケーションだ。働くことも、自分の労働についての price によるコミュニケーションであり、これによって、contextの範囲を超えて社会は有機的に結合している。

この社会は、text と price の二つのツールを使いわけて回っている。

そして、Web2.0とは、price を link に置き換えようとする試みだったのではないだろうか。

グーグルは、ページの中の text より ページ同士の link に注目した検索エンジンである。ソーシャルブックマークは人とページの link であり、SNSは人と人の link である。

link は、 price のように、コミュニケーションを抽象的に抽出する仕組みとして非常に汎用性が高い。為替と株価といった性質の全く違う price を関連づけることができるように、linkも、さまざまな関係を統一的に組み合わせて扱うことができる。シンプルで誰にでも理解でき、誤解の余地がほとんどない。

株式市場を通して、たくさんのプレイヤーが大量の情報をやりとりしているように、link も、context を共有しない多くのプレイヤーが同時に大量のコミュニケーションを行うことを可能にするツールである。

link を text と比較して、非人間的であるとか感情を込める余地がないと批判するのは的外れだ。priceも、非人間的であり感情を込める余地はないけど、コミュニケーションのツールとして重要な機能を果たしてきた。link は text でなく price と比較されるべきである。

text は context を超えられないという致命的な弱点を持っている。これを補うツールとして、link を price の代わりにすることはできないだろうか。

金融危機は、price によるコミュニケーションと経済の実体の不整合から発生した。知識、情報、知恵のような、コピー可能なものを中心に動く経済の中で、 price はうまく機能しなくなっている。

そして、Web2.0バブルの崩壊は、price と link の間には、期待されていたような互換性が無かったということだ。link をベースにしたコミュニケーションから発生した価値を、price に翻訳することは、予想されていたより難しかったということは間違いないだろう。

しかしそれは、link によるコミュニケーションに価値が無いということを意味しているわけではない。むしろ、linkが、price と全く性質の違うコミュニケーションツールであることは福音だと思う。

linkによってtextが不要になるという意味ではない。textでしかできない深いコミュニケーションがあり、textが不要になることはないだろう。

しかし textだけで社会を回そうとしたら、contextの共有を強制することになり、息苦しい社会になってしまう。また、排除された context が、何らかの形で噴出し大きな衝突を引き起こすことも避けられなくなる。

だから、text を補うもう一つのコミュニケーションツールは必要であり、問題は、それが price か link かということだ。

link が price を駆逐してしまうかどうかはわからないが、少なくとも price と同じくらいの位置にになっていくことは確かだと思う。linkの方が、知識主導の経済と相性がいいからだ。

企業は、自社の price と同じくらい自社への link を気にするし、国家は、自国通貨の price と同じくらい、linkの出入りを気にするし、個人は、自分の労働を price だけでなく link で測って、自分の労働に対して一定量のpriceまたはlinkが与えられる状態を「一人前」とか「食っていける」と言うようになるだろう。

しかし、そこに到達するまでには、price と link の非互換性から、まだまだ多くの衝突が起こることも避けられないだろう。その衝突を「price というコミュニケーションツールの寿命」という観点で見ることが必要だと思う。


一日一チベットリンクダライ・ラマ、アメリカに要望 「爆撃でなく対話を」 (2001年の声明)

(追記)

最初に投稿した時に、タイトルが不正だったのでそれを修正しました。

(12/3 追記)

pirceというtypoを二箇所修正しました。