そもそも裁判所って何するところよ

from はてなダイアリー - kom’s log


まぁ、こういう勘違いは、特に技術や特許から入った「昔ながらの特許マン」にはありがちなんですけど。要は法治国家というか、社会構造の全体像がつかめていないわけなんです。


「迅速化」が実現するなら、知財専門の高等裁判所を設置するのもいいと思います。しかし、実務に携わる者の一人として、「裁判所が何をするところか」「三権分立とは何か」もよくわかっていないような、こういう技術系裁判官に法律判断をして欲しくはないです。たとえ特許法に詳しかったとしても。

基本的には同感なんだけど、「こういう技術系裁判官」が心を入れかえて「わかりました勉強します。何を読んだらいいですか」と言った時に、人文学からは合意されたカリキュラムが提示できるのか?というのが疑問です。

その点で、はやくスペックくれよ〜チンチンと同型の問題がここにあるような気がします。

知財もネットも、詳細な技術的知識がなくては対応できない問題ですから、「こういう技術系裁判官」に人文的な基礎教養をつけるか、ちゃんとした法哲学的な基礎のある裁判官が技術を勉強するかどちらかです。前者だけで間に合うかどうかはわかりませんが、おそらく前者を抜きにすることはできません。

そして、その最低限の「人文的な基礎教養」が偏っていた場合、その影響は非常に大きい。その影響力の強さは、従来の法曹の世界とは全く違うレベルになります。だから、偏りは排除しなくてはなりません。

しかし、「こういう技術系裁判官」は「人文的な基礎教養」を身につけたら、すぐにそれを応用して具体的な知財の問題を処理していかなくてはなりません。その現場から逆算して、「人文的な基礎教養」に早急な「答え」を求めつつ勉強することになるので、その姿勢は真摯であればあるほど「偏り」を増幅し、そのことが「知のバトルロワイヤル」を引き起こすような気がします。