「究極の平和」とは「悩み続けられること」

精神科のお医者さんが、なぜか「平和活動」が好戦的であることが多いことへの違和感を、専門知識をもとに解きあかしている。今日の最初の記事につながる話だと思う。


「平和」という価値観は、「戦争」という価値観を「排除」するための、絶好の「争いの場」を提供してくれるのである。

そして、最後のこの言葉が深い。


結局のところ、戦争が解決するためには、「戦争を起こしたい欲求」も「戦争を起こしたくない欲求」も、どちらも受け入れながら、その上でどうするかをあれこれ考えていくしかないのだろう。ひょっとすると「究極の平和」とは「悩み続けられること」なのかもしれない。