知識人 VS 小泉さん

「他の人がどう思うかで自分が動く」(ケインズ美人投票の原理)というのは、市場という集団知の本質でもありますが、権力の本質でもあります。

亀井さんが実力者であると思う人が多いから亀井さんは実力者だったのです。

「亀井さんが実力者であると思う人はバカだ」という言説は、読む人を説得できても機能しません。「なるほど、亀井さんが実力者であると思う人はバカだ」と読んだ人が思っても、「世の中はバカが多いから、亀井さんが実力者であるとみんな思うだろう」と考えているうちは、その言説は効力を発揮できません。

小泉さんのメッセージの本質は「世の中バカばっかりじゃないよ」ということだと思います。無党派というのは「世の中バカばっかり」と思ってバカらしいから棄権してきた人で、そういう人を動員できれば、政治や選挙の力学は根本から変わります。

小泉さんは、「バカ以外が投票すれば俺は勝つ」と言って解散しました。これまでの選挙戦略は「バカばっかり投票した時に勝つ方法」です。その逆をやるということは、「世の中バカばっかりじゃないよ」ということです。無党派は「世の中バカばっかり」と思っていても、自分はバカではないと思っているので、投票するでしょう。バカの為の議員が落ちて、自分がバカでなければ、自分が得をすることが確実だからです。

無党派が「自分はバカではない」と思う根拠のひとつが集団知だと思います。集団知に従っている限り自分はバカではないし少数派でもないと思うのです。そんな言葉は知らなくても、集団知のような実体が生まれつつあることはわかります。わからないのは、知識人だけです。知識人というのは、定義上集団知を受けいれることができません。定義というのは、私の定義ではなくて、知識人の自己認識における定義です。知識人は集団知を受けいれたらアイデンティティを失うのだと思います。

20世紀の知は、「集団知」をバカにすることに終始しています。知識人というのは、「集団知」より賢い人のことです。本当に知識人が「集団知」より賢ければ、過去の知でそれをバカにしつつもうまく制御することは可能ですが、時代はその分水嶺を超えつつあると思います。

知識人が「集団知」よりバカになった時に使える知のリソースはありません。「大衆はバカばっかりだから、小泉にだまされている」というロジックで小泉さんを批判する人は、結果的に小泉さんの応援演説をしているのに等しいのです。大衆はバカでも集団知はバカではないので、その人が正しかったら小泉さんが解散をするわけはないのです。だから、その人が見落していることを、集団知と小泉さんは知っているという推測が成立ちます。

同様に、知識人がホリえもんを批判しても、ホリえもんに致命的な問題があったら集団知が見逃すはずはないので、小泉さんが(実質的な)擁立に同意するわけはない、だからホリえもんは予想よりよい議員になる、と無党派は考えます。知識人が集団知より劣っていることも、ウスウスみんな気付きつつあるので、知識人が本気で批判すると、その逆がだいたい正しいだろうという予想が成立つのです。

そのような集団知のイメージが、実質を伴なうものになるかどうか。それは、上のエントリに書いた「じゃんけん市場」と「証券市場」の違いと同じで、立ち上げた瞬間に「多くの人が集団知が賢いと思えるためのリソース」があるかどうかです。郵政解散に至るプロセスは、その為の基礎を充分以上を与え、あとは、集団知=小泉さんに賢い人が集まり、バカが集団知=小泉さんからはじき出されて、実質的な賢さをどんどん獲得していくプロセスが自動的に進むでしょう。

ホリえもんは、そこに本能的に気づいて、その集団知=小泉株を先物買いしたのだと思います。それは、利己的な動機、損得計算から来る行動ですが、その背景として「大衆=バカ」世界観でなく「大衆=集団知=かしこ」世界観があることが、これまでの政治家と違います。だから、自分の欲得を隠蔽する必要がなくて、「大衆=集団知=かしこ」に私は従いますよ、という本音のメッセージを発信することが、本心から「日本の為」になると言えるわけです。素人で準備不足の割には、論戦をそこそここなせているのは、本音と建前の乖離が無いからだと思います。

結局、集団知の賢さが権力であるという意味では、小泉さん以上にうまくそれに乗る人がいない限り、小泉さんの勝ちだと思います。また、集団知の賢さが正義であるという意味では、小泉さん以上にうまくそれに乗る人がいない限り、小泉さんが勝つことが望ましいと私は思います。

集団知の賢さ、特に美人投票の原理を理解しないで小泉さんを批判するのは、ほとんど無意味に私は思えます。彼らの批判が正しいとしても彼らが批判しているものは小泉さんではないのです。私から見ると、小泉さんに賛成の人は、いくらかでも私がここに書いたような観点を持っていて、だから、彼らが小泉さんに賛同することの一部は、自分が小泉さんを支持する理由になります。しかし、正しく小泉さんを批判する意見は、私は目にしたことがありません。小泉さんを批判するように見えて、何か他のものを批判している意見しか見たことがありません。

そうなると、私には小泉さんを賛成する理由しか残りません。

自分で考えても、小泉さんが大衆を動員する手法は集団知に添っていて、その賢さのリソースをかなり効果的に動員できると思います。そして、集団知を基盤としている限り、それが暴走する可能性はほとんど無いと思います。もちろん、創発的権力は止まれないという致命的な欠点があって、その先は誰も言及してないことが気になりますが、日本は今、そのリスクを避けるという贅沢を言っていられる状況にはないでしょう。