ネットの向こうの不特定膨大多数への信頼の有無

このことは、インターネット知:文脈が読み取れなくなる人々と表裏一体の現象のような気がします。

「不特定膨大多数」には一貫した文脈が期待できないので、それを信頼するということは、次の二つのどちらかを意味するのではないでしょうか。

  • 文脈に対する鈍感さ
  • 矛盾し混乱する文脈に積極的な意味を見出している

リンクを飛び回ってかき集めた情報のまとまりに文脈はない。そして、文脈は自分で作り出すしかなく、それを正しく行える人は少ない。

philosophicalさんのこの言葉には同意しますが、「少ないけど充分いる」と思います。つまり、割合としては少ないけど絶対数としては充分であると。