「チャイルドブランド」世代の強さ

これは将棋の話ではなくて、世代論です。「大きな物語」を失った世代には、特有の強さがあるという話です。

将棋のNHK杯戦で久保利明八段が羽生名人を破って優勝しました。テレビでこの対局を見ましたが、久保八段の落ち着いた指し回しが印象的でした。最初から最後まで久保八段が優位に立っていたと思うのですが、あせらないで要所要所で手を戻していたように思います。つまり、自分の体制を整えてからじっくり攻めていくのです。

勝戦で羽生名人相手に「あと一歩」という所まで追いつめたら、どうしてもアセリが出てくるような気がするのですが(実際、そういう状況でアセって悪手を指して自滅する棋士が多かったような気がしますが)、それが全く久保八段には見られない。それが久保八段の強さであり棋風でもあるんでしょうが、とにかく一歩づつ細かいポイントを重ねて、着実に勝ちきった所が印象的でした。

それで感じたのですが、羽生名人と同世代の人にとってもはや「羽生神話」は存在してないのではないか。森内竜王の台頭も含めて、将棋界の力関係は大きく変化しつつある。そして、それはこれまでの将棋界の歴史になかったことです。

将棋の世界は、常に飛び抜けた人が一人いました。具体的には大山、中原、谷川、そして羽生の歴代名人です。そして、羽生名人以外は同世代の人には圧倒的な存在であり続けたまま、次の世代のホープに負かされています。逆に言うと、時の名人と同世代の人たちは超人的な強さに対するコンプレックスを拭い切れないまま終わってしまっているわけです。

その原因を棋力に求めるか精神的な要因を重視するか、それは簡単には答えの出ない問題です。しかしこれまでは、「名人」の強さは、まさにNHK杯決勝の久保八段のような立場の人に、目に見えないプレッシャーを与え続けてきました。そういうギリギリの危機に追いこまれた時に、相手に「これで本当に俺がこのまま勝てるんだろうか?」という疑念をいだかせるのが、「名人」という看板の強さだったわけです。羽生名人も、一時期はその目に見えないオーラを間違いなく持っていました。

それを次の世代でなく、同世代の人たちがみんなで剥ぎ取ってしまったように思います。

羽生名人の同世代は「チャイルドブランド」と呼ばれていました。命名した島八段は彼らの強さを早くから認めていましたが、多くの人は彼らを揶揄する響きをこめてこの言葉を使っていたような気がします。「彼らは将棋をただのゲームとしてとらえていて、勝負の世界に生きるには人間的に未熟である」というような批判がありました。

つまり、「チャイルドブランド」とは将棋界における「大きな物語」を失なった世代なのです。

それ以前の世代の人は、確率要素の無いデジタルな有限のゼロサムゲームである将棋の中に、たくさんの物語を見い出していた。それが「名人」にオーラを与えていた。あるいは、「名人」の中に不可避的にオーラを読み取ってしまったのです。そして、多くの強い棋士が自分の読み取った物語に負けてしまっていたのです。

「チャイルドブランド」にとって将棋は、ただのゲームであって、最新定跡の研究と読む力の差だけによって結果が決まるものです。全てを計算しつくすことはコンピュータにも人間にもできないので確率的な要素は入りますが、そこに物語がからむ余地は一切ない。彼らはそういう面白みの無い将棋観を批判されてきましたが、これは将棋の外で進行していたことの反映で、今30代前半から20代後半の世代はみんな醒めている。一切の選択肢を奪われて「醒めている」というあり方を強制されているように思えます。だから、伊達や酔狂でなくて、そういうあり方しか彼らには無かったのだと思います。

彼らにとっても羽生名人は特別の存在ですが、それは単に「勝率が特別高い人」という意味でしかない。終盤の「羽生マジック」に惑わされた人は、単に「こういう局面で羽生はいい手を出す確率が高い。よってここで時間を使うことは仕方ない」というような、冷静な判断のもとで冷静に惑わされていただけで、それをデータとして蓄積して多少、状況が変化すれば、「羽生マジック」なんていう仮想概念は消滅してしまうわけです。

それで、私は言いたいのですが、どちらの世代が将棋に対して真摯であったと言うべきなのか?結局、「チャイルドブランド」以前の人は、「将棋」より「名人」を信頼したのです。「チャイルドブランド」は「名人」より「将棋」を信頼した。つまり、「将棋というゲームはそんなに圧倒的な差がつくようにはできてない。そんなちゃちなものではない」という意味で、彼らは、目の前に立ちはだかる羽生の圧倒的な強さより「将棋の神様」を信頼したのではないか。

「物語」っていうのはバッファーです。負けた時に、「ああ俺は人間としてまだまだ未熟だ」なんていうのは甘えではないか。負けた奴は単に将棋が弱いだけ。「チャイルドブランド」はその事実に直面する勇気を持っていた。「将棋の神様」を信頼するということは、負けた自分が弱くてそれ以外の何者でもないということを受けいれるということです。

だから、「チャイルドブランド」の方がずっと将棋に対して真剣に取り組んでいるように思います。それと比較すると前の世代は弱くて狡い。状況を見るより物語に頼って逃げようとする。困難な状況をそのまま受けいれる勇気が無いんです。

それでこの「チャイルドブランド」世代の真摯さと強さは、将棋界の中だけの話ではなくて、もっと普遍的なものだと思います。実際、今の若い人は困難な時代に真正面からきちんと向きあっていると思う。あまり細かい世代論をやるつもりはなくて、基本的に若い人の方ががんばっていると私は言いたい。そして、年寄りは不誠実です。

どうにかその構図を言語化したいとずっと思っていた所、たまたまこの例を使うとわかりやすく言えるかなと思ったので書いてみました。